ノートン・ビリヤーズ・トライアンフとコマンド850の登場
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「ノートン・モーターサイクル」の記事における「ノートン・ビリヤーズ・トライアンフとコマンド850の登場」の解説
1972年頃、ノートン・ビリヤーズ同様、名門トライアンフを抱えるイギリスの老舗企業バーミンガム・スモール・アームズも業績悪化に直面していた。1973年にイギリス政府の肝いりで両社は合併し、ノートン・ビリヤーズ・トライアンフ(NVT)が設立された。同年4月、圧縮比8.5:1、ドイツのスーパーブレンド製ベアリングを採用した828ccの「850」エンジンが発表された。設計では発生馬力は51英馬力/6,250rpmであったが、実際の製造時にはトルク重視側にセッティングが変更となり、馬力は抑えられた。このエンジンを搭載した『828ロードスター』(828Roadster)を始め、『Mark 2 Hi Rider』、『JPNレプリカ』(ジョン・プレイヤー・ノートン・レプリカ)、『Mk.2aインターステート』(Mk.2a Interstate)などが発売された。1973年にはマン島TTレースF750クラスでピーター・ウィリアムズが105.47マイル/hのコースレコードで優勝、2位もノートンに乗るミック・グランドであった。 しかし1974年にピーター・ウィリアムズがレース中のアクシデントで重傷を負って引退、また一時的に政府の補助金が削減されたり、生産拠点をウルヴァーハンプトンとバーミンガムのスモールヒース(en)に集約する動きに反発したトライアンフの従業員協同組合によるストライキが影響し、経営は頓挫を見せ始めた。1975年には販売車両を『Mark 3 Interstate』と『ロードスター』(Roadster)の2種類に集約する対応を取り、1976年にはレースからも撤退したが、政府が貸付金の返還を求めたり、必要な信用保証取り付けに失敗して輸出が滞るなどの問題が噴出し、1977年にNVTは倒産の憂き目を見た。
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