ノモンハン事件後とは? わかりやすく解説

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ノモンハン事件後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:10 UTC 版)

辻政信」の記事における「ノモンハン事件後」の解説

第11軍司令部となった辻は軍紀係を命ぜられ、夜の漢口の街を厳しく取締った。第11軍参謀山本浩一少佐頻繁に料亭出入りし情報収集代として金銭渡していたことを中央告発し山本東京召喚されるという事件があった。 1940年昭和15年8月中佐進級。辻は、12月25日付で、南方作戦準備のため台湾軍司令部内に新たに設置され研究部(第82部隊)第1課(企画課)に配属され作戦必要な戦闘方法等の研究資料収集調査指導した1941年昭和16年6月頃、参謀本部作戦部で、第11軍左遷されている辻を呼び戻そうとする動き起こり、これに反対した参謀本部作戦課長土居明夫参謀本部作戦部長・田中新一対立同年7月1日付で土居転出し作戦班長だった服部卓四郎作戦課長就任した。(土居ノモンハン事件直前モスクワから日本に戻るシベリア鉄道ノモンハン集結する戦車等の輸送が行われているのを確認し関東軍等に対応を進言したが辻に握りつぶされ前歴がある。)台湾軍研究部1941年7月閉鎖され、辻は1941年7月10日参謀本部作戦課の兵站班長補任された。 ノモンハン事件の頃は北進論であった辻であるが、この時期南進論者に豹変していた。田々宮英太郎によると、1941年秋、日米首脳直接会談によって戦争回避はかった近衛文麿内閣総理大臣爆殺計画したが、直接会談おこなわれず近衛内閣退陣したため爆殺計画実行されなかった。この時期になると辻は石原敵対者であった東條英機内閣総理大臣に接近している。

※この「ノモンハン事件後」の解説は、「辻政信」の解説の一部です。
「ノモンハン事件後」を含む「辻政信」の記事については、「辻政信」の概要を参照ください。

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