ノモンハン事件との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 06:32 UTC 版)
「ノムンハーネイ・ブルド・オボー」の記事における「ノモンハン事件との関わり」の解説
1734年に定められた新バルガ(黒竜江地方)とハルハ(外蒙古)の境界は、その後20世紀に入っても、モンゴルと中華民国の歴代政権の間で踏襲されていったが、1932年に成立した満洲国は、従来の境界より8−20キロ南方に位置するハルハ川を新たな境界として主張しはじめ、その結果、このオボーの付近は国境紛争の係争地となった。その後、国境紛争は大規模な軍事衝突(ノモンハン事件)へと拡大する。このオボーは、モンゴル側が主張する国境の境界標識として、ノモンハン事件関係文献のなかにしばしば登場する。
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