ノモンハンという地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:12 UTC 版)
「ノモンハン事件」の記事における「ノモンハンという地名」の解説
この衝突に対して日本・満洲側が冠しているノモンハンは、モンゴル語では「ノムンハン」といい、「法の王」を意味する。より詳細には、ノモンハン・ブルド・オボーで、チベット仏教の聖者の塚のことである。 この名称は、清朝が1734年(雍正12年)に外蒙古(イルデン・ジャサク旗・エルヘムセグ・ジャサク旗)と、内蒙古(新バルガ旗)との境界上に位置していたオボー(祭礼場)の一つ「ノモンハン・ブルド・オボー」に由来し、厳密には地名ではない。このオボーは現在もモンゴル国のドルノド・アイマクと中国内モンゴル自治区北部のフルンボイル市との境界上に現存し、大興安嶺の西側モンゴル高原、フルンボイル市の中心都部ハイラル区の南方、ハルハ河東方にある。 また、この土地を牧場としたハルハ系集団のうちダヤン・ハーンの第七子ゲレンセジェの系統を引くチェチェン・ハン部(中国語版)の左翼前旗の始祖ペンバの孫チョブドンが受けたチベット仏教の僧侶としての位階の呼称にも由来する。チョブドンの墓や、ハルハと新バルガとの境界に設置されたオボーの一つなどにも、チョブドンの受けたこの「ノモンハン」の称号が冠せられている。
※この「ノモンハンという地名」の解説は、「ノモンハン事件」の解説の一部です。
「ノモンハンという地名」を含む「ノモンハン事件」の記事については、「ノモンハン事件」の概要を参照ください。
- ノモンハンという地名のページへのリンク