ノモンハン事件とノムンハーネイ・ブルド・オボー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 14:13 UTC 版)
「ノムンハン」の記事における「ノモンハン事件とノムンハーネイ・ブルド・オボー」の解説
1939年、満洲国とモンゴル人民共和国の国境紛争に、日本軍とソ連軍が介入して大規模な軍事衝突が生じた。この事件に対する日本・満洲側の呼称「ノモンハン事件」にみえるノモンハンという語は、満州国側の新バルガ旗と、モンゴル側の左翼前旗、中右翼旗の境界線上に設置された四つのオボー(塚)のひとつノムンハーネイ・ブルド・オボー(「ノムンハンの水の塚」の意)に由来する呼称である。このノムンハンは、左翼前旗の始祖ペンバの孫で、清朝によってノムンハンに認定され、このオボーの付近に葬られたチョブドンを指す。
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