ニクソン政権の副大統領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:15 UTC 版)
「スピロ・アグニュー」の記事における「ニクソン政権の副大統領」の解説
1969年よりリチャード・ニクソン政権下で副大統領を務めた。ニクソンがアイゼンハワー政権のホワイトハウスで果たした役割と同様であり、アグニューは「ニクソンのニクソン」と呼ばれた。 アグニューはニクソン政権の中で、大統領が望んだ役割を果たした。 ニューオーリンズではアグニューは、デモ参加者による暴力を容認するリベラルなエリートを非難した。 一方で、正副大統領改選の年である1972年の初めより、アグニューが郡長および州知事時代に受注者から金品を受け取っていた疑いが浮上し、ボルチモアを管轄する連邦地方検察が捜査に入る。 アグニューが捜査を知ったのは再選直後である1973年2月であり、8月1日にジョージ・ビール連邦地方検事が正式に脱税および汚職についての捜査を通告する。これに対してアグニューは「私に対してあれこれ非難があるが、事実無根だ。仮に起訴されたとしても、私は辞めない!」と強気に出ていた。しかし10月10日に脱税容疑について争わない(不抗争)とする司法取引を行い、副大統領職を辞任。 この件はウォーターゲート事件捜査のさなかであったが、アグニュー辞任から10日後の10月20日に所謂「土曜日の夜の虐殺」が起こったことも重なり、ニクソン政権は追い込まれることとなる。 なお後任の副大統領はニクソンによって、共和党下院院内総務だったジェラルド・R・フォードが指名され、11月27日に上院で承認12月6日に下院で承認されて正式に就任した。 副大統領辞任後の1974年、アグニューは倫理欠如という理由で法曹資格剥奪の裁判所命令を受ける。1981年には、アグニューが受け取ったとするリベートを州に返納せよという民間人が起こした訴訟が原告勝訴となり、利子込みの約25万ドルを州に支払うこととなった。この判決では、リベートの授受は副大統領在任時まで続いていたと認定されている。 1996年に77歳で死去した。
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