ドラマ演出
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スポンサー企業の意向に合わせてバラエティーなどを企画した後、五社は1959年(昭和34年)6月に初めての演出テレビドラマシリーズ『刑事』を手がけた。『刑事』は高松英郎主演で生放送ドラマであった(当時は録画技術がなく全て生放送であった)。タイトルは「刑事」だが、偽札作りをする悪党がメインとなり、「破滅していくアウトロー」がテーマで、スピーディーな演出が社内で高評価を得た。 自身の目指す生々しい迫力のあるアクションを体現できる俳優を探していた五社は、当時あまり知名度のなかった丹波哲郎の野性味と堂々たる体躯に目をつけた。五社は日本テレビで『丹下左膳』のセットで撮影中の丹波を訪れるといきなり初対面の口火で、自作のギャングドラマ『ろくでなし』に出演してほしいと単刀直入に言った。 江戸っ子の丹波と、五社のチンピラ流コミュニケーションの切り出し方は馬が合い、『ろくでなし』の成功後も、1960年(昭和35年)1月スタートのシリーズ物『トップ屋』でコンビを組むなど、付き合いが長く続くことになる。 高視聴率のドラマを連発し、フジテレビの看板ディレクターとなった五社は、黒澤明のような時代劇の演出を目指した。1960年(昭和35年)10月の浅沼稲次郎暗殺事件発生により警察から、刃物やピストルなどの凶器を使う場面の自粛をテレビ局は求められたこともあり、時代劇なら非現実的なファンタジーとして暴力的描写も許容されうるという思いも五社にはあった。 五社は、当時フジテレビに売り込みに来た無名の殺陣師・湯浅謙太郎が率いる「湯浅剣睦会」と組んだテレビ時代劇『宮本武蔵』の殺陣において、竹光ではなく真剣と同じ重さを持つ危険なジュラルミン製の模造刀を採用し、役者の迫真の演技を引き出した。五社の演出する立ち回りは、限りなくリアルに近い死闘であったが、テレビスタジオのセット内だけの撮影では今一つの限界もあった。
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