トーナメントの方式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 07:58 UTC 版)
トーナメントの中心は騎士が2つに分かれて突撃を行うトゥルネイまたはメレ(乱戦)で、2人の騎士が1対1で戦うジョストは同時に行われることが多いが主要競技になることは無かった。 トーナメントの標準的な形式は、1160、1170年代の『ウィリアム・マーシャルの生涯』やクレティアン・ド・トロワの騎士道物語(ロマンス)等に示されている。トーナメントは四旬節(復活祭前の40日間)の期間を除いて年中開かれた。通常は、月曜日、火曜日だが、金曜日と日曜日以外なら他の日に開かれることもあった。トーナメントの会場は通常2週間前に発表される。最も有名なトーナメント競技場はフランス北東部(コンピエーニュ近くのRessons-sur-MatzとGournay-sur-Arondeの間で1160年代から1240年代まで使用された)に在り、トーナメントシーズンにはヨーロッパ中から数百人の外国の騎士が集まった。 騎士たちは個人や団体で到来し、宿泊用に用意された2つの会場のどちらかに滞在した。見物台が作られる主要会場の競技場でトーナメントは始まる。トーナメントの日には一方の側が主要会場の内側に集まり、他方が外側に集まる。 前日には地元の有力者による宴会がそれぞれの会場で開かれ、前夜祭としてジョスト(ベスパー(晩祷)と呼ばれる)が行われ、個々の騎士にその能力を披露する機会が与えられた。当日は、まず両方の隊が行進した後、鬨の声を上げ、両方の隊から進み出た個人によるジョストが再び行われる。通常は新米の若い騎士などが機会を与えられた。 午前中の中頃までに騎士たちは突撃のために列を作って並び、ヘラルドの掛け声を合図にランス(槍)を水平に構えて、それぞれの相手に向かって突撃する。落馬せずに残った騎士は素早く方向転換(ターンturn。トーナメントtournamentの名の由来である)し、次に攻撃する騎士を選ぶ。境界線(観客席の前に柵と盛り土で作ったライン)上には従者がいて、3本の替えのランスを用意していた。やがて競技は乱戦となり、両方の騎士が身代金目当てに相手側の騎士を攻撃し、2つの会場の間に競技場として設定された数平方マイルの空間に広がって戦う。両陣営が疲れるか、日が暮れるかすると終了する。もし片方が突撃により崩れて自陣に敗走し、境界線や警備の歩兵隊の後ろに逃げると、それ以前に終了することも多い。トーナメントが終わるとその日のパトロンが豪勢な宴会と余興を開き、両陣営における最優秀騎士が選ばれて祝福を受けた。
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