デヴィッド・ノヴァクの社長就任
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「ケンタッキーフライドチキンの歴史」の記事における「デヴィッド・ノヴァクの社長就任」の解説
1994年までに、KFCは全世界で9407店舗(アメリカ国内では5149店舗)を展開しており、従業員は10万人を超えていた。マクドナルドのような競合他社がバリューセットの展開を開始していたため、同年にはKFCチェーンは苦戦し始めていた。期待はずれの四半期所得が続いたあと、クラナーは1994年1月にKFCを去った。クラナーの後任として、マーケティング分野のバックグラウンドを持つ2人の幹部が会社の復活を任された。ロジャー・エンリコはペプシコ・ワールドワイド・レストランズのCEOに任命され、一方でデヴィッド・C・ノヴァク(英語版)がKFC・ノース・アメリカ社長として選ばれた。 1995年、ノヴァクはふたつのヒット商品を世に出した。「クリスピーストリップ」と「チキンポットパイ」はKFCチェーンにとってほぼ2年ぶりの大型新製品だった。ノヴァクによれば、より「オープン」に改善された加盟店との関係が、これらの新商品を生み出した。実際に「クリスピーストリップ」は、あるアーカンソーの加盟店の発明であり、同様に「チキンポットパイ」の開発も加盟店とともに行われた。その一方で、コーンマフィンのような比較的人気のない商品はメニューから削除された。同じ時期、エンリコはペプシコのレストラン部門のCEOとして、KFCとその姉妹企業(タコベルとピザハット)との間の競争を抑制した。エンリコの介入以前、タコベルは独自のチキン商品の販売を開始しており、一方でKFCはピザハットを攻撃するようなマーケティングを展開していたなど、ペプシコのレストラン部門内部での競争は激化しつつあった。 1996年、5年前に当時のジョン・クラナー会長によって提案された契約の、もっとも物議をかもす文言をただちに取り下げることで、KFCは加盟店側との関係を修復した。1976年の契約に含まれていた、KFCを独占的に営業できる1.5マイルのテリトリー権が回復されたことにより、既存の加盟店は新規加盟店との競争から保護されることが約束されたが、その一方で全国的な広告における親会社のコントロールは強化された。ノヴァクはさらに、「カーネルズ・ロティサリー・ゴールド」をメニューから削除し、そのかわりに「テンダーロースト」と呼ばれる新商品を追加した。「テンダーロースト」はフライドチキンと同様に1ピース単位で提供されたが、これは「カーネルズ・ロティサリー・ゴールド」がクオーター、ハーフ、もしくは1羽丸ごとでしか売られていなかったのとは対照的だった。その後ノヴァクは、KFC・ノース・アメリカによる10会計四半期連続の成長を監督した。1996年、KFC・ノース・アメリカにおける成功を評価され、ノヴァクはKFCチェーン全体の社長兼CEOに就任した。
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