デレク・デ・ソーラ・プライスによる調査
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「アンティキティラ島の機械」の記事における「デレク・デ・ソーラ・プライスによる調査」の解説
何十年にも及ぶ機械の洗浄の後、英国の科学史家デレク・デ・ソーラ・プライスが1951年に系統的調査に取り掛かった。プライスは「時計以前の時計仕掛け」また、「時計の起源」についていくつかの論文を発表した後、1959年6月アンティキティラ島の機械についての最初の著名な論文となった「古代ギリシャのコンピュータ(An Ancient Greek Computer)」を発表した。この論文は科学雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』の巻頭論文として掲載された。アーサー・C・クラークのTV番組「Arthur C. Clarke's Mysterious World」の第三章の最後によると、彼の勧めによって掲載されたとされる。この論文中でプライスは、アンティキティラ島の機械は恒星と惑星の動きを計算するための装置であり、知られる限り最古のアナログコンピュータであるとの説を展開した。その時点までは、この機械は何らかの天文に関する装置、おそらくは天体観測にもちいられたアストロラーベだったと認識されていたが、機能についてはほとんど知られていなかった。1971年、当時エール大学初の科学史のアバロン教授となっていたプライスは、ギリシャの国立研究センター「DEMOKRITOS(デモクリトス)」の原子核物理学の教授であったCharalampos Karakalosと協力することになった。Karakalosはガンマ線とX線の両方でアンティキティラ島の機械を撮影し、内部構造について重要な知見を得た。1974年プライスは論文「ギリシャからの歯車:アンティキティラの機械-紀元前80年ごろのカレンダーコンピュータ(Gears from the Greeks: the Antikythera mechanism — a calendar computer from ca. 80 B.C.)」の中で、どのようにこの機械が動作しうるかというモデルを提示した。プライスのモデルは装置の復元への最初の論理的な試みとなった。彼のモデルでは、前面の表示盤は、太陽と月が黄道十二星座を通過してゆく、1年間の経過をエジプト暦に対して表す。また背面上部の表示盤は4年の周期を表示し、付随の表示盤は235朔望月から成るメトン周期、すなわち約19太陽年を示す。さらに背面下部の表示盤は1朔望月の周期を示し、二次的な表示盤は12朔望月から成る太陰年を表す。プライスの提言の中で特筆すべきことは、アンティキティラ島の機械は角速度を加減できる差動歯車を装備し、月の動きの効果から太陽の動きの効果を差し引いて、月の満ち欠けを計算することができた、とする点である。
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