ディディ・グレゴリウスとは? わかりやすく解説

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ディディ・グレゴリウス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/05 08:49 UTC 版)

ディディ・グレゴリウス
Didi Gregorius
ラグナ・ユニオン・コットンファーマーズ #18
ニューヨーク・ヤンキース時代
(2017年9月5日)
基本情報
国籍 オランダ王国
出身地 北ホラント州アムステルダム
生年月日 (1990-02-18) 1990年2月18日(35歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 遊撃手
プロ入り 2007年 アマチュアFA
初出場 2012年9月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
国際大会
代表チーム オランダ王国
WBC 2017年2023年
プレミア12 2024年

ディディ・グレゴリウス英語: Didi Gregorius, 本名:マリエクソン・ユリウス・グレゴリウスオランダ語: Mariekson Julius Gregorius , 1990年2月18日 - )は、オランダ王国北ホラント州アムステルダム出身のプロ野球選手遊撃手)。右投左打。メキシカンリーグラグナ・ユニオン・コットンファーマーズ 所属

登録名の"ディディ"は愛称である。2011年に行われたIBAFワールドカップでオランダ代表として優勝した際に「サー」の爵位を賜り[1]サー・ディディとも称される[2]ニューヨーク・ヤンキースの遊撃手の歴代最多シーズン本塁打記録を持つ[3]

経歴

プロ入り前

1990年にヨーロッパ・オランダ北ホラント州アムステルダムで生まれる。ただし一族のルーツはヨーロッパではなく、カリブ海に浮かぶ当時オランダ領アンティルキュラソー島にあった。そして祖父と両親がともに野球あるいはソフトボールの選手だった。祖父フアン・アントニオオランダ語版は1950年代にキュラソー島のクラブチームで投手をしており、身長が2m超だったのを茶化して "ちび"(パピアメント語: Chiquitin)と呼ばれていた[4]1955年にはオランダ領アンティル代表の一員として、総合競技大会パンアメリカン競技大会にも出場した[5]。父ヨハネスオランダ語版はヨーロッパ・オランダのホーフトクラッセにおいて、1984年以降アムステルダム・パイレーツで7季、ハールレム・ニコルスオランダ語版で3季の計10季にわたって投手をしていた[4]。母シェリツァ・ストロープはソフトボールのオランダ代表に選出された経験を持つ[6]。8歳上の兄ジョニーも野球をしていた。こうした環境にあって、グレゴリウスは2歳の頃からバットボールを手に遊ぶようになる[7]。ヨーロッパ在住時はティーボールをしていた[8]

父ヨハネスはホーフトクラッセでのプレイの傍ら、オランダの郵便・電信を担う国営企業PTTオランダ語版で働いたり[9]大工仕事をしたりしていた[8]。ただ一家の生活は苦しく、チームのロッカールームで仮住まいしていた時期もあるほどで、当時を知るチャールズ・ウルバヌス・ジュニアオランダ語版によれば、ヨハネスは「ヨーロッパにとどまるか、それともキュラソー島へ移住するかで迷っていた」という[9]。1995年に一家はキュラソー島へ移住し[4]、グレゴリウスはそこで本格的に野球をするようになる。当時のキュラソー島では、島出身のアンドリュー・ジョーンズ1996年メジャーリーグベースボール(MLB)でデビューし、その後の活躍によって野球人気を上昇させていた[10]。この時期にグレゴリウスが出会った選手たちにも、のちのメジャーリーガーが顔を揃えている。特にアンドレルトン・シモンズとは同じチームで二遊間を10年にわたって組み、同じ学校にも通っていた[11]。シモンズがグレゴリウスとの初対面時について覚えているのは野球のことではなく、温暖なキュラソー島でグレゴリウスが長袖シャツを着ていたことだという[12]。グレゴリウスは最初は右翼手をしていたが、優れた守備を一度か二度見せたところでコーチに内野手としての才能を見抜かれ、それからはシモンズが遊撃手のときに二塁手をするようになった[13]。ジョーンズが故郷キュラソー島で少年野球大会を創設すると、その第1回大会で優勝したのがグレゴリウスとシモンズを擁するチームだった[14]。同じリーグにはジョナサン・スコープがいて、3人の名前が並んだ高打率ランキングが新聞に載ったこともあったし、ケンリー・ジャンセンジェイアー・ジャージェンスともプレイしたことがある[12]。また、近所の公園でサッカーバスケットボールに興じる仲間にはジュリクソン・プロファーもいた[15]

MLBでは、アメリカ合衆国カナダの2か国を除く国・地域でプレイするアマチュア選手は16歳から球団との契約が可能となる。グレゴリウスは12歳になる頃から、自身を視察するスカウトの姿を目にしている[5]。14歳までリトルリーグでのプレイを続けたあとは[13]、地元セミプロリーグ "全国選手権AAリーグパピアメント語版" の、父ヨハネスと兄ジョニーも在籍するサンタマリア・パイレーツパピアメント語版へ入団した。チームでは、もともと父ヨハネスにつけられていた由来不明の渾名が息子ふたりにも受け継がれ、父ヨハネスが "ディディ・シニア"、兄ジョニーが "ディディ・ジュニア"、グレゴリウスが "ディディ・リトル" と呼ばれた[5]。グレゴリウスによると入団は父ヨハネスの意向で、若くして25歳以上の大人たちと対戦する環境に身を置くことで成長を促そうとしたのだという[15]。父ヨハネスは「本当に私は何も教えていないんだよ」と述べ、グレゴリウスの成長に大きな役割を果たしたのは兄ジョニーだとしている[5]。AAリーグでは二塁手だけでなく、遊撃手や捕手、投手もこなした[13]。ただ、16歳になってもMLB球団との契約をすぐには結ばなかった。これはキュラソー島の学校に通ってほしいと両親が希望したためだった[16]。高校に通いながらキュラソー島内やベネズエラドミニカ共和国などでトライアウトを受ける日々を送った[13]

2007年、ヨーロッパ・オランダの南ホラント州デン・ハーグで、オランダ王国の青少年向け総合競技大会 "コーニンクライクスペーレンオランダ語版" が開催され、アンティル代表の一員として遠征・出場した。ここではアルバ出身のザンダー・ボガーツとともにプレイした[17]。このふたりはのちに国際大会ではオランダ代表のチームメイトとなり、MLBではライバル関係英語版にあるニューヨーク・ヤンキースボストン・レッドソックスそれぞれの正遊撃手として相対することとなる。そしてその大会では、シンシナティ・レッズのスカウトを務めるジム・ストゥークルとも出会った。彼はオランダ代表監督を一時していたことがあり、父ヨハネスのことも知っていたため、選手名簿にグレゴリウスの名前を見つけると「この子はディディ(シニア)と何か関係が?」と大会関係者に確認した[16]。グレゴリウスの大会でのプレイぶりを視察したストゥークルは、グレゴリウスに直接「キュラソー島にも行くよ」と告げた[13]。ストゥークルが球団に掛け合ってキュラソー島で個別練習を実施し実力を評価、また両親を説得した結果、グレゴリウスは契約金5万ドルでのレッズ入団に合意した[16]。当時のグレゴリウスは、17歳にして球速92mph(約148.1km/h)の球を投げることができた[18]。ストゥークルは「目を引いたのは肩の強さ」として、プロでは投手でやっていく気はあるかと尋ねたところ、グレゴリウスは「いや、父が投手だったから、自分は遊撃手がやりたい」と答えた[8]

プロ入りとレッズ時代

2008年、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・レッズでプロデビュー。31試合に出場して打率.155、9打点、2盗塁を記録した。

2009年はまずA+級サラソタ・レッズでプレーし、22試合に出場して打率.254、2打点を記録した。7月からはパイオニアリーグのルーキー級ビリングス・マスタングス英語版でプレー。50試合に出場して打率.314、1本塁打、16打点、8盗塁を記録した。オフの9月にイタリアネットゥーノで行われた第38回IBAFワールドカップオランダ代表として出場した。

2010年はまずA級デイトン・ドラゴンズでプレーし、120試合に出場して打率.273、5本塁打、41打点、16盗塁を記録した。8月31日にA+級リンチバーグ・ヒルキャッツ[19]へ昇格し、7試合に出場した。オフにオーストラリアン・ベースボールリーグに参加し、キャンベラ・キャバルリーに加入した。ここでは、36試合に出場して打率.189、1本塁打、9打点、4盗塁を記録した。

2011年はまずA+級ベーカーズフィールド・ブレイズ英語版[20]でプレーし、46試合に出場して打率.303、5本塁打、28打点、8盗塁を記録した。7月にAA級カロライナ・マドキャッツ(現:ペンサコーラ・ブルーワフーズ。現行の同球団とは別物)へ昇格。38試合に出場して打率.270、2本塁打、16打点、3盗塁を記録した。9月20日に第39回IBAFワールドカップのオランダ代表に選出された[21]。同大会ではヨーロッパの代表としては、1938年大会のイギリス代表以来73年ぶりの優勝を果たした。この栄誉を称えて代表24人全員に「サー」の爵位が贈られ[1]、グレゴリウスにも贈られた[2]。11月18日にレッズとメジャー契約を結び[22]40人枠入りを果たした。

2012年3月18日にAA級ペンサコーラ[23]へ配属され、開幕を迎えた。AA級ペンサコーラでは81試合に出場して打率.278、1本塁打、31打点、3盗塁を記録した。7月にAAA級ルイビル・バッツへ昇格。同球団では48試合に出場し、打率.243・6本塁打・23打点だった。登録枠が拡大された9月1日にメジャーへ初昇格し[24]、9月5日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビュー。「8番・遊撃手」として先発起用され、4打数無安打だった。この年メジャーでは8試合に出場して打率.300、2打点を記録した。

ダイヤモンドバックス時代

2012年12月11日にクリーブランド・インディアンスを含めた三角トレードで、アリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[25]

アリゾナ・ダイヤモンドバックス時代(2013年8月9日)

2013年3月2日にダイヤモンドバックスと単年契約に合意[26]。開幕直前の3月31日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした[27]。4月16日に復帰[28]。復帰後は遊撃手として先発起用され、復帰から7試合連続安打を記録していたが、4月26日のコロラド・ロッキーズ戦でジョシュ・アウトマンから頭部死球を受け途中退場し、28日に故障者リスト入りした[29]。5月4日に復帰[30]後も正遊撃手として奮闘し、この年は103試合に出場。打率.252、7本塁打、28打点を記録した。

2014年3月3日にダイヤモンドバックスと1年契約に合意した[31]。3月30日にAAA級リノ・エーシズへ配属され[32]、アメリカで開幕を迎えた。開幕後は前年AAA級リノでMVPや新人王を獲得したクリス・オーウィングスに遊撃の定位置を奪われ、6月3日にメジャーへ昇格[33]後は主にオーウィングスのバックアップや二塁の守備に就いていたが、6月29日にオーウィングスが故障者リスト入りしたため、遊撃の定位置を奪取。9月にオーウィングスが復帰したがグレゴリウスは遊撃に固定され、オーウィングスは二塁に回った。この年は80試合に出場して打率.226、6本塁打、27打点、3盗塁を記録した。

ヤンキース時代

2014年12月5日にデトロイト・タイガースを含んだ三角トレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[34]

ニューヨーク・ヤンキース時代(2015年4月14日)

2015年は、前年に引退したスター遊撃手のデレク・ジーターの後継者としてレギュラーの座に入り、155試合に出場。打撃面では打率.265、9本塁打、56打点、5盗塁を記録した。

2016年は153試合に出場して打率.276、20本塁打、70打点という成績を記録した。本塁打は自己最多だった。

2017年はシーズン開幕前の1月24日に第4回WBCオランダ代表に選出された[35]。3月20日に右肩を負傷したため代表を離脱した[36]。シーズンでは9月4日のボルチモア・オリオールズ戦でディラン・バンディから球団遊撃手初となる2年連続シーズン20号本塁打を記録した[37]。9月20日のミネソタ・ツインズ戦でシーズン25号本塁打を記録し、1999年に前述のジーターが記録した24本を越えて、球団遊撃手のシーズン本塁打記録を更新した[3]

2018年4月3日のホーム開幕戦となるタンパベイ・レイズ戦で4安打、2本塁打、8打点でチームも11-8で勝利した[38]。5月1日には10本塁打を達成し、1908年からの遊撃手でもっとも速いペースで10本塁打を達成した選手だった[39]。また、同日にアメリカンリーグのプレイヤー・オブ・ザ・ウィークにも選出され、5月3日には4月のプレイヤー・オブ・ザ・マンスに選出された[40]。レギュラーシーズンでは、シーズンで20本塁打を超える27本塁打を打ち、ヤンキースの遊撃手の連続20本塁打超えの記録を3年に伸ばした[41]。シーズン終了後の10月13日に右尺骨側靭帯損傷と診断され、同月17日にトミー・ジョン手術を受けた[42]

2019年はトミー・ジョン手術のリハビリによって、メジャー初出場が6月7日のクリーブランド・インディアンス戦となった[43]。復帰後は遊撃手のレギュラーを務めたが、82試合出場で打率.238、16本塁打、61打点に終わった。オフの10月31日にFAとなった[44]

フィリーズ時代

フィラデルフィア・フィリーズ時代(2020年7月18日)

2019年12月13日にフィラデルフィア・フィリーズと1400万ドルの単年契約を結んだ[45]

2020年のオフにFAとなった[46]

2021年2月10日にフィリーズと2年総額2800万ドルで再契約した[47]

2022年8月4日に自由契約となった[48]

2023年3月に第5回WBCオランダ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。同大会では一塁手として起用された。

メキシカンリーグ時代

2023年5月2日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルラグナ・ユニオン・コットンファーマーズと契約した[49]。26試合に出場で打率.359、11本塁打、34打点と活躍し、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのオールスターゲームに選出された。

マリナーズ傘下時代

2023年6月8日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ[50]。8月2日にFAとなった[51]

マリナーズ退団後

シアトル・マリナーズを退団した2023年8月のうちに、オランダ代表に招集された。オランダ代表は、9月中旬に同国南ホラント州ロッテルダムで開催されるチェコ代表との親善試合3試合 "ロッテルダム・ベースボール・ウィークエンド" と、その後10月1日までチェコで開催される第37回ヨーロッパ選手権への出場を控えていた。代表監督エフェルト=ヤン・トフーンオランダ語版は、グレゴリウスが直前までマイナーリーグベースボールでプレイしていたことから、もう一度メジャー昇格を目指す意志を有しているのは明らかだとし、ヨーロッパ選手権への出場はその目標達成に資するとの考えを示した[52]。グレゴリウスは「状況が許す限り代表でプレイしたい」と望む一方で、ロッテルダム大会後は「北アメリカのプロ野球のほうが相手投手が厳しい球を投げてくる」とレベル差を指摘した[53]。ヨーロッパ選手権では6試合19打数で4安打本塁打打点はなかったが9四球を選び出塁率は.464を記録、また最優秀守備選手賞を受賞した[54]。チームは準決勝でスペイン代表に6-7で敗れ、2014年の第33回大会から続く連覇を4で止められた。

ヨーロッパ選手権の終了後はアラブ首長国連邦へ渡った。同国を含む中東およびインド亜大陸では、新リーグ "ベースボール・ユナイテッド" の創設が2022年に発表されていた。同リーグは2023年に4球団を立ち上げて10月にドラフトを実施し、グレゴリウスはアラブ首長国連邦ドバイ首長国ドバイを本拠地とするドバイ・ウルブズから1巡目・全体3位指名を受けた[55]。同リーグは2023年はリーグ戦を実施せずに準備期間に充てたが、11月下旬にドバイの国際クリケット・スタジアムアラビア語版で東軍・西軍に分かれて "オールスターショーケース" 2試合を開催した。グレゴリウスはこの2試合とも西軍の遊撃手として先発出場した[56]。翌2024年2月下旬には幼馴染のアンドレルトン・シモンズジェイアー・ジャージェンスとともに、同リーグのオーナーグループに加わった[57]

オーナーグループ入りに先立つ2月上旬、カリブ海沿岸諸国の冬季リーグ王者が集う国際大会の第66回カリビアンシリーズに、キュラソー代表キュラソー・サンズの一員として出場した。大会初日に行われたメキシコ代表ナランヘーロス・デ・エルモシージョスペイン語版との試合では、2点を追う3回表一死満塁の場面で走者一掃の逆転三塁打を放ってチームの6-5の勝利に貢献した[58]。チームは決勝トーナメント進出を経て7チーム中4位に入り、グレゴリウスの個人成績は全8試合の出場で打率.161・0本塁打・4打点・OPS.432だった。大会終了後はメキシコ夏季リーグ "リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル" のラグナ・ユニオン・コットンファーマーズに合流し、マリナーズ入団前にも在籍していた古巣へ復帰した。コットンファーマーズやその本拠地都市コアウイラ州トレオンの環境をいたく気に入っていたらしく、球団会長ギジェルモ・ムーラによれば、カリビアンシリーズでは他の選手にも「住むには最高の場所だ」と言っては勧誘をかけていたという[59]。この年のコットンファーマーズには新たにジョナサン・スコープアーロン・アルテールが加入した。スコープは幼馴染でありカリビアンシリーズのサンズや各種国際大会のオランダ代表でチームメイト、アルテールはカリビアンシリーズの対戦相手ナランヘーロスにいた。グレゴリウスとスコープはシーズン開幕後も活躍を見せ、5月25日開催のオールスターゲームにも揃って選出された[60]。このシーズンは75試合に出場し、打率.262・7本塁打・43打点・OPS.772という成績を残した。

夏季プロ野球のシーズンが終わると、再びオランダ代表の活動に参加した。11月に世界大会の第3回WBSCプレミア12があり、12チームが2組に分かれるオープニングラウンドにおいて、オランダ代表にはメキシコで開催されるA組への出場が割り当てられた。グレゴリウスはコットンファーマーズの同僚スコープとともに代表入りした[61]。チームは2勝3敗の6チーム中5位でスーパーラウンド進出を逃したが、グレゴリウスは全試合に1番・遊撃で先発出場し、対アメリカ合衆国戦と対プエルトリコ戦の2試合連続で先頭打者本塁打を放つなど[62]、打率.500・2本塁打・4打点・OPS 1.318を記録した。この活躍が評価され、大会終了後にはオールワールドチーム(ベストナイン)遊撃手部門に選出された[63]。オランダ代表での活動は、さらに年をまたいで2025年も続いた。日本代表強化試合 "侍ジャパンシリーズ" の対戦相手としてオランダ代表が招聘され、3月上旬に2試合が行われた。この日本遠征にもグレゴリウスは招集され、第1戦の前日にはチームの顔として監督のトフーンとともに記者会見にも出席した[64]。オランダ代表は2試合連続で零封負けを喫し、グレゴリウスは2試合とも2番・遊撃で先発出場するも無安打に抑えられた。第1戦では、1点を追う4回表無死一塁で打席を迎えたが、塹江敦哉が投じた内角速球バットを折られて二ゴロに倒れた[65]

日本遠征を終えたあとはメキシコに戻り、コットンファーマーズで3年目のシーズンを迎えた。この年も6月29日開催のオールスターゲームには選出されたものの[66]、出場数は50試合と前年から25試合減り、打撃成績も打率.288・2本塁打・23打点・OPS.735にとどまった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2012 CIN 8 21 20 1 6 0 0 0 6 2 0 0 1 0 0 0 0 5 0 .300 .300 .300 .600
2013 ARI 103 404 357 47 90 16 3 7 133 28 0 2 2 1 37 5 6 65 4 .252 .332 .373 .704
2014 80 299 270 35 61 9 5 6 98 27 3 0 2 2 22 3 3 52 1 .226 .290 .363 .653
2015 NYY 155 578 525 57 139 24 2 9 194 56 5 3 3 6 33 0 11 85 4 .265 .318 .370 .688
2016 153 597 562 68 155 32 2 20 251 70 7 1 5 5 19 2 6 82 9 .276 .304 .447 .751
2017 136 570 534 73 153 27 0 25 255 87 3 1 0 7 25 1 3 70 7 .287 .318 .478 .796
2018 134 569 504 89 135 23 5 27 249 86 10 6 1 9 48 3 7 69 8 .268 .335 .494 .829
2019 82 344 324 47 77 14 2 16 143 61 2 1 0 2 17 1 1 53 5 .238 .276 .441 .718
2020 PHI 60 237 215 34 61 10 2 10 105 40 3 2 1 2 15 3 4 28 4 .284 .339 .488 .827
2021 103 408 368 35 77 16 2 13 136 54 3 0 0 7 25 1 8 67 8 .209 .270 .370 .639
2022 63 232 214 17 45 9 4 1 65 19 1 0 0 2 13 0 3 36 0 .210 .263 .304 .567
MLB:11年 1077 4259 3893 503 999 180 27 134 1635 530 37 16 15 43 254 19 52 612 50 .257 .308 .420 .728
  • 2022年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBCでの打撃成績

















































2017 オランダ 6 26 23 5 8 4 0 1 15 8 0 0 0 1 2 0 0 1 1 .348 .385 .652
2023 4 17 12 2 3 0 0 0 3 3 0 0 1 0 4 0 0 1 1 .250 .438 .250

年度別守備成績



二塁(2B) 三塁(3B) 遊撃(SS)




































2012 CIN - - 6 8 10 0 4 1.000
2013 ARI - - 100 152 279 13 51 .971
2014 11 13 26 1 3 .975 2 2 1 0 0 1.000 67 98 189 5 39 .983
2015 NYY - - 155 177 430 13 77 .979
2016 - - 153 180 380 15 68 .974
2017 - - 135 144 360 9 47 .982
2018 - - 132 160 309 6 54 .987
2019 - - 80 93 181 6 48 .979
2020 PHI - - 59 79 132 7 35 .968
2021 - - 101 131 236 18 49 .953
2022 - - 61 70 140 2 29 .991
MLB 11 13 26 1 3 .975 2 2 1 0 0 1.000 1049 1292 2646 94 500 .977
  • 2022年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

MLB

国際大会

背番号

  • 25(2012年)
  • 1(2013年 - 2014年)
  • 18(2015年 - )

代表歴

脚注

  1. ^ a b “ジーター後継者は「サー」の爵位持つ24歳のグリゴリアス”. スポーツニッポン. (2014年12月13日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/12/13/kiji/K20141213009453790.html 2020年11月20日閲覧。 
  2. ^ a b Yanks Players Weekend nicknames explained MLB.com (英語) (2017年8月24日) 2017年8月27日閲覧
  3. ^ a b Judge hits HR No. 45 as young Yanks rake MLB.com (英語) (2017年9月20日) 2017年9月24日閲覧
  4. ^ a b c Redactie Panorama, "De Amerikaanse doorbraak van een Amsterdamse honkballer (longread)," Panorama, 25 juni 2018. 2025年9月3日閲覧。
  5. ^ a b c d David Gardner, "Didi Gregorius keys Yankees' revival while upholding two baseball legacies," Sports Illustrated, May 25, 2016. 2025年9月3日閲覧。
  6. ^ Mark Townsend, "Didi Gregorius will continue following in his mother's footsteps at the WBC," Yahoo Sports, February 9, 2017. 2025年9月3日閲覧。
  7. ^ Jennifer Kamm, "Didi Gregorius: The New NY Yankees Shortstop," Haute Living, February 17, 2015. 2025年9月3日閲覧。
  8. ^ a b c David Waldstein, "A Speck on the Map Gushes Talent," The New York Times, December 14, 2014. 2025年9月3日閲覧。
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  11. ^ Ben Lindbergh, "The Amazing Adventures of Didi and Andrelton," The Ringer, April 27, 2018. 2025年9月3日閲覧。
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