南ホラント州とは? わかりやすく解説

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南ホラント州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/12/30 05:59 UTC 版)

南ホラント州
Provincie Zuid-Holland
南ホラント州の旗 南ホラント州の紋章
オランダ王国
州都 ハーグ
最大の都市 ロッテルダム
州知事 ワウター・コルフ(自由民主国民党
言語 オランダ語
面積
 - 総面積
 - 水域
オランダ12州中 第6位
3,403.38 km²
575.97 km² (16.9%)
人口2019年
 - 総計
 - 人口密度
オランダ12州中 第1位
3,734,481
1,383人/km²
ISO 3166-2:NL NL-ZH
公式サイト 南ホラント州政府

南ホラント州(みなみホラントしゅう、Zuid-Holland [ˌzœyt ˈɦɔlɑnt] ( 音声ファイル))は、オランダ南西部の。州都はハーグ。北は北ホラント州、北東はユトレヒト州、東はヘルダーラント州、南は北ブラバント州、南西はゼーラント州に接する。

州名

州名の由来は、ホラント州を参照。

標準的なオランダ語発音をカタカナ表記化すると「ザウトホラント」となる。しかし、「ザウト」を翻訳して「南ホラント州」と表記されることが多い。その他、以下のような表記もある。

  • 南ホーラント
  • 南ホランド
  • 南ホーランド
  • ザイトホーラント
  • ザイトホランド
  • ザイトホラント

歴史

初期の歴史

ハルディンクスフェルト=ヒースセンダムでの考古学的発見により、南ホラント地域には少なくとも約7,500年前から人が居住していたことが示されている。おそらく当時は遊動的な狩猟採集民であったと考えられる。約2,000年後には、フラールディンゲン近郊での発掘調査に基づき、農耕定住が始まったとみられている。

古代ローマ時代、南ホラントはローマ属州ゲルマニア・インフェリオルの一部であり、ローマ帝国の国境は旧ライン川(Oude Rijn)に沿って走り、カトワイク付近で北海に達していた。ローマ人は国境沿いに要塞を築き、現代のファルケンブルフ近郊のプラエトリウム・アグリッピナエ、ライデン近郊のマティロ、アルフェン・アーン・デン・ライン近郊のアルバニアナなどがその例である。また、現在のフォールブルフ近くには都市フォルム・ハドリアニが建設され、格子状の都市計画に基づき、広場、裁判所、浴場、複数の神殿が設けられていた。

ローマ人の撤退後、この地域はフリースラント王国の一部となり、636年にフランク王ダゴベルト1世によって征服された。690年にはアングロ・サクソン修道士ウィリブロルドがカトワイク近郊に到来し、フランク王ピピン2世からローマ・カトリックの布教を行う許可を得た。彼はウーフストヘーストに教会を建て、以後この地域は徐々にキリスト教化されていった。

843年のヴェルダン条約により、この地域は東フランク王国に属することとなり、王は領地獲得に貢献したヘロルフに土地を与えた。これがホラント伯領の始まりである。ヘロルフの後はディルク1世が伯位を継ぎ、フランク王の下でホラントを統治した。1248年にはホラント伯ウィレム2世がリッデルザールの建設を命じ、これは後に息子で後継者のフロリス5世によって完成された。

1574年のライデン解放
ホフ池(Hofvijver)から見たビネンホフ(1625年)

南ホラントで最初に都市権を与えられたのはドルトレヒトで、1220年のことであった。同市は14世紀後半に一連の洪水に見舞われるまで、地域において支配的地位を保っていた。同世紀には、ホラント伯ウィレム4世の後継をめぐってフック派とタラ派の内戦(フック派・タラ派戦争)が勃発した。娘のジャクリーヌ(エノー女伯)と、兄のバイエルン公ヨハン3世ブルゴーニュ公フィリップ善良公の支持を受けていた)が王位を主張したが、1490年にヨハンが勝利して争いは終結した。

中世後期を通じて、南ホラントは全体として農業中心の地域であったが、1500年頃から状況は一変し、ホラントはヨーロッパで最も都市化の進んだ地域となった。八十年戦争の間、この地はブリーレ占領、ライデン包囲戦、そしてオラニエ公ウィレム沈黙公の暗殺といった重要な出来事の舞台となった。

1581年にネーデルラント連邦共和国が独立を宣言すると、ホラントは急速に国内で最も有力な州となり、ライデンデルフトハウダドルトレヒトといった重要な交易都市が繁栄した。1575年には、オラニエ公ウィレム沈黙公によってオランダ最初の大学がライデンに創設された。ホラント伯の城を起源とするハーグは新たな政治の中心となり、ホラントおよび西フリースラント州議会とネーデルラント連邦議会はいずれもビネンホフに置かれた。

17世紀にはオランダ黄金時代が花開いた。当時しばしばズイデルクヴァルティール(南地区)と呼ばれていたホラント南部は、アントニ・ファン・レーウェンフッククリスティアーン・ホイヘンスといった科学者、バールーフ・デ・スピノザピエール・ベールといった哲学者、さらにヨハネス・フェルメールレンブラントヤン・ステーンといった画家たちの出生地・活動拠点となった。

州としての南ホラント

現在の南ホラント州は、1795年から1813年にかけてのフランス統治時代にその起源を持つ。この時期は、オランダの州制度が大きく、かつ目まぐるしく変化した時代であった。1795年にバタヴィア共和国が宣言され、その後の一連の憲法改正によって旧体制は一掃された。1798年4月23日制定の憲法では、従来の州境が抜本的に改められ、共和国は人口規模がほぼ等しい8つの(デパルトマン)に再編された。

ホラント南部はこのとき3つの県に分割された。南部の島々はゼーラントおよび北ブラバント西部と統合され、スヘルデ・エン・マース県が設けられた。地域北部はデルフ県となり、東部の小さな地域は、ヘルダーラントユトレヒトの広範囲にまたがるライン県の一部となった。1801年にはホラント県が設置され、旧来の境界が復活した。この再編は短期間で終わったものの、ホラントを分割して影響力を抑えるという発想を生み出した。1807年にはホラントが再び再編され、今度は南北に分割された。後に南ホラントとなる南部はマースラント県と呼ばれたが、これも長続きはしなかった。1810年、オランダ全土はフランス帝国に併合され、マースラント県はマース河口県(蘭:Monden van de Maas/仏:Bouches-de-la-Meuse)と改称された。

1940年ロッテルダム爆撃後の瓦礫と化したロッテルダム市中心部

1813年にフランスが敗北した後、この行政体制は約1年間維持された。1814年憲法の導入により、多くの境界はフランス支配以前の状態に戻され、ホラント北部と南部は再統合されてホラント州となった。しかし分割は完全に解消されたわけではなかった。1814年の再設置以降、ホラント州には常に2人の国王委員(北部担当と南部担当)が置かれ、州が統合された後も両地域は一部で異なる扱いを受け続け、ホラント分割の構想は存続していた。

その結果、1840年にホラント州は再び北ホラント州と南ホラント州に分割された。これは、ホラント州が面積・人口・経済力のいずれにおいても支配的すぎると判断されたためである。20世紀後半から21世紀初頭にかけては、アウトウェーター(1970年)、ウールデン(1989年)、フィアネン(2002年)、レールダムおよびゼーデリク(2019年)の5自治体が南ホラント州からユトレヒト州へ移管された。

1863年にニーウウェ・ワーテルウェフ(Nieuwe Waterweg)が建設されたことで、ロッテルダム港の成長が始まった。第二次世界大戦中の1940年5月14日、ドイツ軍爆撃によりロッテルダム中心部は破壊された。その後のドイツ占領下では反ユダヤ政策が実施され、多くのオランダ人レジスタンスのメンバーがワールスドルペルフラクテで逮捕・処刑された。同時期、沿岸部には大西洋の壁が建設された。

戦後の1953年には、北海大洪水によって南ホラント南部が甚大な被害を受け、677人の南ホラント州民が犠牲となった。これを受けてオランダ政府はデルタ計画(デルタ・ワークス)の建設を決定し、1997年のマエスラント可動堰(Maeslantkering)完成をもってこの大規模治水事業は完了した。

地理

基礎自治体

2023年時点で50の基礎自治体ヘメーンテ)からなる。

  1. アルブラッセルダム (Alblasserdam)
  2. アルブランドスワールト (Albrandswaard)
  3. アルフェン・アン・デン・ライン (Alphen aan den Rijn)
  4. バーレンドレヒト (Barendrecht)
  5. ボーデフラーフェン=レーワイク (Bodegraven-Reeuwijk)
  6. カペレ・アン・デン・アイセル (Capelle aan den IJssel)
  7. デルフト (Delft)
  8. ドルトレヒト(ドルドレヒト) (Dordrecht)
  9. フレー=オーフェルフラーケー (Goeree-Overflakkee)
  10. ホルクム (Gorinchem)
  11. ゴーダ(ハウダ) (Gouda)
  12. ハーグ / ス=ハラフェンデール(デン・ハーフ) (Den Haag / 's-Gravenhage) - 事実上のオランダの首都
  13. ハルディンクスフェルト・ヒーセンダム (Hardinxveld-Giessendam)
  14. ヘンドリック=イド=アンバハト (Hendrik-Ido-Ambacht)
  15. ヒレホム (Hillegom)
  16. フクスヘ・ヴァールト (Hoeksche Waard)
  17. カーグ・エン・ブラーッセム (Kaag en Braassem)
  18. カットワイク (Katwijk)
  19. クリンペン・アン・デン・アイセル (Krimpen aan den IJssel)
  20. クリンペネルヴァールト (Krimpenerwaard)
  21. ランシンヘルラント (Lansingerland)
  22. ライデン (Leiden)
  23. ライデルドルプ (Leiderdorp)
  24. ライドスヘンダム=フォールブルフ (Leidschendam-Voorburg)
  25. リッセ (Lisse)
  26. マーススラウス (Maassluis)
  27. ミデン=デルフラント (Midden-Delfland)
  28. モレンランデン (Molenlanden)
  29. ニーウコープ (Nieuwkoop)
  30. ニッセヴァールト (Nissewaard)
  31. ノールトワイク (Noordwijk)
  32. ウフストヘースト (Oegstgeest)
  33. パーペンドレヒト (Papendrecht)
  34. ペイナカー=ノートドルプ (Pijnacker-Nootdorp)
  35. リデルケルク (Ridderkerk)
  36. ライスワイク (Rijswijk)
  37. ロッテルダム (Rotterdam)
  38. スヒーダム (Schiedam)
  39. スリートレヒト (Sliedrecht)
  40. タイリンゲン (Teylingen)
  41. フラールディンゲン (Vlaardingen)
  42. フォールネ・アン・ゼー (Voorne aan Zee)
  43. フォールスホテン (Voorschoten)
  44. ワディンクスフェーン (Waddinxveen)
  45. ワッセナール (Wassenaar)
  46. ヴェストラント (Westland)
  47. ズーテルメール (Zoetermeer)
  48. ズーテルワウデ (Zoeterwoude)
  49. ザイドプラス (Zuidplas)
  50. ズワインドレヒト (Zwijndrecht)

スポーツ

サッカー

南ホラント州に本拠地を置くプロ・サッカークラブ。1部リーグ(エールディヴィジ)と2部リーグ(エールステ・ディヴィジ)の双方を含む。

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