ディオクレティアヌス以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 17:27 UTC 版)
「アフリカ属州」の記事における「ディオクレティアヌス以後」の解説
5世紀のゲルマン民族の大移動まで、北アフリカはローマ帝国の支配下として続いた。429年、ゲルマン民族の一部族であるヴァンダル族がスペインからアフリカ北部に侵入し、シチリア、コルシカ、サルデーニャおよびバレアレス諸島まで侵略して、439年にはヴァンダル王国を建設した。ヴァンダル族は王国を軍事統制し、ローマ系アフリカ人を厳しく区別して抑圧し、また、カトリック信仰を迫害した。しかし5世紀の終わりにはヴァンダル王国は勢力を失い、領土のほとんどをマウリ族や他の砂漠地帯の部族に奪われた。 533年、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世は、ヴァンダル王国の内紛を口実に、アフリカの覇権を取り戻そうと将軍ベリサリウスの軍団を派遣した。ベリサリウスは短期間の戦闘でヴァンダル王国を破り、カルタゴに入って、属州におけるローマの統治を回復した。ローマは、砂漠地帯に暮らすベルベル人部族の攻撃をしのぎ、大規模な砦のネットワークを築いて再び内陸にも勢力を伸ばした。 皇帝マウリキウスのとき、北アフリカの属州は、スペインにあるローマ属州と共に、アフリカ総督の監督下におかれるアフリカ総督領(en:Exarchate_of_Africa)になった。この総督領は繁栄した。610年に暴君といわれる皇帝フォカスが処刑され、彼を倒したヘラクレイオスが新しい皇帝となったが、このヘラクレイオスの反乱はアフリカから起こっている。ヘラクレイオスは、短期間ではあるがカルタゴに戻って、首都もコンスタンティノープルからカルタゴに移そうとしたことがある。この事実からも、この時期のアフリカが繁栄し安定していたことがわかる。 640年以降、アフリカはイスラム教徒による激しい侵略にさらされた。しばらくは、侵略されるときもあったが、再び逆転して持ちこたえていた。しかし、698年にエジプトを拠点とするイスラム軍が総督府カルタゴを陥落させ、これによって北アフリカのローマ支配およびキリスト教支配は終わりを告げた。
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