ディオクレティアヌスの改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 05:14 UTC 版)
「ドミナートゥス」の記事における「ディオクレティアヌスの改革」の解説
従来のローマ帝国は、属州に分割されており、そのうちの半数の属州総督は元老院が任命する体制であった。ディオクレティアヌスは従来の属州をおよそ100程度に再分割し、属州総督の権力を削減した。そして強力な官僚制を作り上げ、専制的な皇帝が官僚を通じて人民を支配する体制ができあがった。 ディオクレティアヌスはまた、テトラルキアの制度を作った。これは皇帝権を2人の正帝(アウグストゥス)と2人の副帝(カエサル)とに分割し、正帝は20年の任期で引退して副帝に正帝の地位を譲るというシステムである。ローマ皇帝は軍全体の司令官という性質を持っており、外敵の侵入が激化すると皇帝は前線でとどまり続けることが多く、ディオクレティアヌスがテトラルキアの制度を作ったのも、前線司令官である皇帝がそれぞれの前線を分担するのに、4人の皇帝が必要だったからである。これにより従来は名誉称号に過ぎなかった「アウグストゥス」が、正帝を表す正規の称号となった。テトラルキアの体制では、帝職に任期が定められたこと、独裁を避けるために一人以上の同僚を持つという官職の伝統に則り皇帝権を正帝2人と副帝2人とに4分割したこと、特定の一族に権力が集中するのを防ぐために世襲を避けて有能な者に帝職を継承させるシステムを構築したこと、など共和制や元首政的な部分を多く残していた。 また、実際には皇帝が行っていた帝国全土の行政業務も建前上は元老院での投票による元老院決議であると位置づけられていたように、ディオクレティアヌス時代の皇帝権は共和政時代の諸公職の権限から受け継いだ概念に依拠しており、皇帝が専制君主として振る舞うことはできなかった。
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