ディオクレティアヌス以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 17:27 UTC 版)
「アフリカ属州」の記事における「ディオクレティアヌス以前」の解説
紀元前146年、共和政ローマは第三次ポエニ戦争でカルタゴを滅亡させ、カルタゴ領をローマの属州として再編し、アフリカ属州とした。州都はウティカ(Utica)に定めた。マシニッサが治めるヌミディア王国は、ローマの保護国(クリエンテス)として残った。この頃のローマが考えるアフリカの役割は単純で、シチリアのローマから遠い方の側に抵抗勢力が育つのを防ぐことであった。 紀元前118年、ヌミディアの王子ユグルタは、他の小王国を統合して領域を再編しようとした。しかし、ユグルタが死ぬと、彼が支配下においた領域の多くはローマ保護国の王ボックス1世(en:Bocchus_I)の支配下に収まった。 その後、ユグルタ戦争、ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)を経て、ガイウス・ユリウス・カエサルによってヌミディア王国が断絶すると、その旧領はアフリカ・ノウァ属州として再編された。更に初代ローマ皇帝アウグストゥスは、アフリカ属州とアフリカ・ノウァ属州を統合し、新たにアフリカ・プロコンスラリス属州として再編、アマエダラに第3軍団アウグスタを配置した。 後のクラウディウス帝によって、隣接する断絶したマウレタニア王国領がマウレタニア・カエサリエンシス属州とマウレタニア・ティンギタナ属州に再編された。アフリカ属州はその後、セプティミウス・セウェルス帝によって、旧ヌミディア領が分離された。ディオクレティアヌス帝の行政改革により、アフリカ属州、ヌミディア属州、マウレタニア・カエサリエンシス属州はアフリカ管区に統合され、7つの属州に再編された。
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