ディオクレティアヌス城砦
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「パルミラ」の記事における「ディオクレティアヌス城砦」の解説
詳細は「ディオクレティアヌス城砦(英語版)」を参照 ディオクレティアヌス城砦(陣営・軍営地〈カストラ〉)は、パルミラ崩壊後の300年頃(293-303年)、皇帝ディオクレティアヌスのもと、シリアの総督ソシアヌス・ヒエロクレス(英語版)によって築かれた。中央に軍隊を収容する東西45メートル、南北62メートルの大きな広間 (principia) があり、広い階段の上方に本営(プレトリウム、Praetorium)の遺構がある。1959年以来、ポーランド調査隊によりシリアと共同で発掘調査されており、おそらく以前は女王ゼノビアの時代の宮殿であったといわれる。
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