テレビシリーズ放送まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 14:54 UTC 版)
「ヘイ・アーノルド!」の記事における「テレビシリーズ放送まで」の解説
アニメーターであるクレイグ・バートレットは、アナコーツ高校を卒業後、ワシントン州オリンピアにあるエバーグリーン州立大学(英語版)でコミュニケーション学の単位を取って卒業した。高校・大学時代、彼はオレゴン州ポートランドにあるポートランド美術館付属美術学校に通っており、大学卒業後はクレイアニメーションスタジオウィル・ヴィントン・プロダクション(英語版)に就職した 。元々バートレットは、19世紀風のスタイルを持つ画家を目指していたが、イタリア旅行を通じてアニメーションに興味を抱いた。1987年、『ピーウィーのプレイハウス』に参加していたころ、彼はペニーという少女を主人公としたショートアニメを製作し、このときアーノルドというキャラクターは、ペニーの友人として登場していた。6年後、バートレットはニコロデオンのテレビアニメ『ラグラッツ』の企画をすすめるために、5人の脚本家とともに制作チームに参加した。制作会議はいつも話がまとまらず、脚本家たちは苛立った。バートレットは後に「アイデアは良かったのですが、多人数でしかも寄せ集めの集団での話し合いは、このような企画会議には向いていませんでした。ニコロデオンの重役たちは、我々がドアから入ってこないかと頭を抱えていました。」と振り返っている。切羽詰まったバートレットは先述のペニーのビデオテープを製作陣に見せ、彼女に注目してもらおうとした。ところが、脇役であるにもかかわらず、重役たちはアーノルドの方に注目した。 ミーティングを経て、制作陣はアーノルドの人格を作り上げ、手法もクレイアニメーションからセルアニメーションに変更した。後にバートレットは「アーノルドの人物像について話し合った結果、"問題解決に自信を持ち、正しい選択をし、正しい行いをすることに自信を持つ、お人よしのヒーロー"というキャラクター像ができあがりました」と振り返っている。アーノルドの人物像のアイデアが出来上がったあと、バートレットは自身の子ども時代を元にした脇役を作っていった。多くのキャラクターは彼が子供のころに出会った人々を複数組み合わせたものとなっており、女の子のキャラクターについては、バートレットに好意を寄せた子やそうでなかった子が元になっている。。彼は『ヘイ・アーノルド!』の最初のエピソードを自宅の居間で作り上げ、ニコロデオンでプロデューサーたちに見せた。1年後、ニコロデオンはテレビシリーズの制作を開始するように伝えた 。 なお、1988年から1991年の間、アーノルドを題材としたクレイアニメ3部作 Arnold Escapes from Church (1988), The Arnold Waltz (1990), Arnold Rides a Chair (1991)が公開され、このうちArnold Rides a Chairは1991年にセサミストリート内のショートアニメとして放送された。また、1996年には8分間の短編アニメーションArnold がニコロデオン初の長編映画『ハリエットのスパイ大作戦』の本編上映前に放映された。
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