チェポネにて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 03:47 UTC 版)
主な南ベトナム軍の縦隊がア・ルオイに三週間留まり、レンジャーと空挺部隊が命懸けで戦っていた間、チュー大統領とラム将軍はチェポネそのものに空挺の猛攻撃を仕掛けると決めていた。アメリカの指導者達と報道関係者は「ラムソン719」の主な目的の一つとして捨てられた町に注目したが、北ベトナム軍の兵站回路は実際には廃墟と化した西へと迂回した。しかし、南ベトナム軍が少なくとも占領する事が出来たならば、チュー大統領は「勝利」宣言や彼の軍隊を南ベトナムに撤退させる事に関して政治的弁明をしただろう。 「ラムソン719」に対するチュー大統領の本来の意図について幾つかの歴史的推測が在る。何人かは、彼は本来は死傷者数が3千人に達したら司令官達に作戦を中断するようにと命じたのかも知れず、彼は常に「勝利」の瞬間に撤退する事を望んでいて、秋に迫った選挙の為の資本を獲得する為にチェポネを利用するのは尤もらしいと信じた。無頓着にも、機甲機動部隊と共にではなく、第1師団の戦闘員と共に猛攻撃をすると決定された。それは国道9号の南側に在った射撃基地の占領は海軍兵団によって引き継がれなければならない事を意味しており、より貴重な時間が失われた。 第1師団の戦闘員が全て国道9号の南側に在った2つの射撃基地(ロロとソフィア)や上陸地帯リズにヘリコプターで運ばれた時、猛攻撃は3月3日に始まった。11機のヘリコプターが撃墜され、44人が射撃基地ロロに運ばれている時にダメージを受けた。三日後、武装ヘリコプターコブラと戦闘機に守られていた276機のUH-1ヘリコプターが第2連隊の第2と第3大隊をケサンからチェポネまで運んだ。これはベトナム戦争で最大のヘリボーン作戦だった。戦闘部隊がチェポネから北東に4キロメートル離れた上陸地帯ホープを猛攻撃していた時に、1機が対空砲火により撃墜されている。二日間2つの大隊はチェポネやその周辺を探したが、少ししか空の攻撃によって死亡した北ベトナム軍の兵士の死体は見付からなかった。北ベトナム軍は射撃基地、特にロロとホープに対する日常的な砲兵爆撃を増やす事によって答えた。
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