ソ連海軍時代
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ソ連では、「護衛艦」を意味する「EK」の略号を与えられ、8月26日にEK-41(ЭК-41エーカー・ソーラク・アディン)の艦名で太平洋艦隊に編入された。10月にウラジオストクに回航。 1947年から1948年にかけて改装作業を受けて類別を標的艦(корабль цель)に変更し、艦名をTsL-41(ЦЛ-41ツェエール・ソーラク・アディン)と改めた。 1949年6月17日には類別を海洋観測艦に変更され、艦名も「軸」という意味のヴァル(ロシア語:Валヴァル)と改められた。 1949年1月にはソ連海軍総司令部作戦局により、各旧日本艦の再兵装案が作成された。計画されたヴァルの再兵装案は以下の通りである。 B-34型100mm単装砲1基 70K型37mm単装機銃4基 BMB-1型爆雷投射機2基 しかし改造費用が多額になること、造船所の整備対応能力が欠けていたことから造船省の首脳部が旧日本艦の工事を拒否し、艦政局も本格的な改造を諦めて最低限の工事を施すことにした。1952年5月、ソ連海軍総司令官ニコライ・クズネツォフ中将は1949年5月12日付けの各旧日本艦の再兵装案を承認した。計画されたヴァルの再兵装案は以下の通りである。 V-11型37mm連装機銃3基もしくは70K型37mm単装機銃6基 Fakel-M型識別装置 MDSH型発煙筒20個(有事搭載) R-644型短波受信機 R-671型短波受信機 R-673型全周波受信機 R-609型超短波受信機 1951年から1954年にかけてウラジオストクの第90船舶修理工場で再整備作業を受け、1954年第一次太平洋観測派遣隊に配属。その後、1961年6月1日に退役し、解体のため資金資産局へ引き渡された後、解体された。
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ソ連海軍時代
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ソ連では、「護衛艦」を意味する「EK」の略号を与えられ、EK-47(ЭК-47エーカー・ソーラク・スェーミ)の艦名で太平洋艦隊に編入された。10月にウラジオストクに回航。 1948年7月5日、海洋観測艦に改装され、「北」という意味のノルド(ロシア語:Нордノルド)に改称された。 1949年1月にはソ連海軍総司令部作戦局により、各旧日本艦の再兵装案が作成された。計画されたノルドの再兵装案は以下の通りである。 B-34型100mm単装砲1基 70K型37mm単装機銃4基 BMB-1型爆雷投射機2基 しかし改造費用が多額になること、造船所の整備対応能力が欠けていたことから造船省の首脳部が旧日本艦の工事を拒否し、艦政局も本格的な改造を諦めて最低限の工事を施すことにした。このためノルドを含めた多くの旧日本艦は1953年まで保管状態におかれた。1952年5月、ソ連海軍総司令官ニコライ・クズネツォフ中将は1949年5月12日付けの各旧日本艦の再兵装案を承認した。 1951年から1953年にかけてウラジオストクの第90船舶修理工場で再就役工事を受ける。6月15日、「測深器」という意味のグロボーニャ(ロシア語:Глубомерグロボーニャ)に改称された。1954年、太平洋艦隊第335支隊に配属。同年第90船舶修理工場で工作艦(плавучая мастерская)への改造工事を受け、3月12日、PM-62(ПМ-62ペエーム・シヂスャート・ドヴァー。「第62号工作艦」といった意味)に改称される。1965年、第47海防旅団に配属。その後、1969年1月25日に退役し、解体のため資金資産局へ引き渡された後、解体された。
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