ソ連空軍の空爆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 14:48 UTC 版)
1939年10月3日、グリゴリー・クリシェンコ大尉率いる9機のDB-3爆撃機が奇襲爆撃した(日本側はSBと認識)。飛行場への被害はわずかであったが、一弾が第一連合航空隊幹部の集まっている所へ落下したため、塚原二四三司令官が重傷を負うなど人員の多くが死傷した。10月14日には、再び漢口基地への爆撃が行われ、飛行場に置かれていた50~60機が破壊されるという被害を受けた(漢口空襲)。
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