ソ連対日参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 13:25 UTC 版)
詳細は「ソ連対日参戦」を参照 5月にドイツを降伏させたソ連は、8月に日本に宣戦布告した。満州、樺太・千島列島に侵攻した。戦力の多くを太平洋方面の戦闘や本土決戦準備で抽出されていた日本の関東軍は、圧倒的な戦力で侵攻するソ連軍に蹂躙された。植民地であった満州国で多くの日本人が犠牲になり、内地である樺太、千島列島でも多くの住民らが自決した。原爆投下とソ連参戦を機に、ついに日本はポツダム宣言受諾を決定し通告した。 その後、ソ連は11日に樺太侵攻(樺太の戦い)、18日になって千島列島の北端である占守島にも奇襲侵攻した(占守島の戦い)。守備隊は占守島を死守し、21日にはソ連は停戦調停に合意した。これによりソ連の侵攻は大幅に遅れ、その間に米軍の北海道進駐が完了したため、ソ連の侵攻を避ける事が出来た。ソ連は北海道を共産圏として支配する事を目標としており、占守島が占領された場合ソ連の北海道進駐が可能となった可能性が高い為、占守島の守備隊がソ連による北海道分割統治を阻止したと考えられている。
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