ソロミュージシャンとしての活動
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「ジェームズ・ウィリアムソン」の記事における「ソロミュージシャンとしての活動」の解説
2014年4月19日、ウィリアムソン自身が設立したレオパード・レディ・レコードから『リ・リックト』の先行シングルとして7インチアナログ盤の「オープン・アップ・ブリード / ギミ・サム・スキン」が発売された。続いてその3ヶ月後の2014年7月29日、やはり7インチアナログ盤でセカンドシングル「アイ・ガット・ア・ライト / ヘヴィ・リキッド」が発売され、更にその3ヶ月後の2014年10月16日、アルバム『リ・リックト』が発売された。 このアルバムは、スタジオレコーディングとしてはウィリアムソン初のソロアルバムというだけに留まらず、その後のウィリアムソンのソロ活動を支えるメンバー、ドラムスのマイケル・アーバーノ、キーボードのグレッグ・フォアマンを見出す作品ともなった。 ウィリアムソンは製作発表時にはこのアルバムの再現ライブについて「参加したヴォーカリストが多すぎるから無理」と否定的な見解を示していたが、リリース後にラスト・コール・ウィズ・カーソン・デイリー出演のためにライブ演奏の収録を行ったところ、気が変わり、2015年1月16日にロサンゼルスのブートレグ・シアターで再現ライブを開催した。 同年9月26日、ウィリアムソンはチーター・クローム、フランク・マイヤーとともにイベント、パンク・ロック・ルネッサンス 2015に参加した。2015年のウィリアムソンの活動はこのイベント参加で終了した。 2016年に入ってもしばらくウィリアムソンの表立った音楽活動は途絶えていたが、同年6月15日、『リ・リックト』に参加したヴォーカリストの1人、ベルレイズのリサ・コケーラとのコラボレーションでチャリティ・シングル「アイ・ラヴ・マイ・チュチュ」をリリースし、音楽活動を再開した。ハワイアン調の表題曲でウィリアムソンはウクレレを披露している。 同年8月3日、ペトラ・ヘイデンをリード・ヴォーカルに据え、1920年代のブルースをカヴァーしたチャリティ・シングル「ブルース・ジャンプ・トゥ・ザ・ラビット」をリリースした。 同年11月11日、ウィリアムソンは知り合いのエンジニア兼ベーシスト、ジェイソン・カルマーから紹介されて気に入っていた19才のヴォーカリスト、マイアをリード・ヴォーカルに起用してシングル「シック」をリリースした。この活動で2016年のウィリアムソンの音楽活動は終了した。 2017年1月27日、ウィリアムソンはレディオ・バードマンのデニス・テックとのコラボレーション作品「アコースティック K.O.」をリリースすることを発表した。4曲収録されたこのミニアルバムは、ザ・ストゥージズの曲や『キル・シティ』の収録曲をアコースティック楽器でセルフカバーするという内容で、元々はデニス・テックのアイデアだった。ウィリアムソンによると、ザ・ストゥージズのオーストラリアツアーの後、ハワイで休暇を一緒に過ごした際に提案されたものだったという。 リリース前のインタビューで、これらの曲をデニス・テックとライブ演奏することについて聞かれたが、ザ・ストゥージズ時代に多くのライブをこなして体力的な厳しさを実感して以降、ライブ出演には消極的な発言をしていたウィリアムソンは、今回もあまり積極的ではなく、「サンフランシスコのブリッジ・ベネフィット・フェスティバル(英語版)のようなチャリティライブに単発で出演するくらいなら」と答えた。また、同じインタビューでアルバム製作を含む今後の活動の予定を聞かれ、音楽活動は継続するが、今後アルバムという形で作品を発表するかはまだわからない、継続的に作曲をすることが自分に可能なのか見極めているところ、と答えた。「アコースティック K.O.」は、リリース発表と同時に収録曲「ペネストレーション」が配信形式で先行公開され、加えて「ナイト・テーマ」のミュージック・ビデオが同年3月3日に公開された後、同年3月17日にリリースされた。 「アコースティック K.O.」リリース後は、再び表立った音楽活動を見せていなかったウィリアムソンだが、同年8月11日に日本のラジオ番組に出演し、3月のインタビューからは一転して「アルバムを製作中」と明言した。また、この際に改めて「今後、ザ・ストゥージズとして活動することはあり得ない」と語った。
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