ティファナ・ブラス解散後
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「ハーブ・アルパート」の記事における「ティファナ・ブラス解散後」の解説
1969年にアルパートはバンドを解散、しかし数名のオリジナル・ティファナ・ブラスのメンバーと新たなメンバーを加え、1971年から"the T.J.B."名義でティファナ・ブラスを復活させる一方でソロ・ミュージシャンとしての活動を始める。 ヒュー・マセケラとの競演アルバムを1978年にリリース。その後マセケラを加え新生ティファナ・ブラス結成を画策したが上手く行かず断念。 1979年、ソロ名義のアルバム『ライズ(英語版)』を発表。タイトル曲「ライズ(英語版)」でソロとしては自身初のNo.1ヒット曲になり、さらに同曲でグラミー賞ベスト・ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス部門を受賞。また、イギリスのクラブなどで33回転シングルを45回転で流したところ評判になり、瞬く間にヒットチャートを駆け上がった。後にノトーリアス・B.I.G.が1997年に発表した"Hypnotize"のサンプリング音源として同曲が使用されている。 1982年、アルバム "Fandango" からのシングル、"Route101" がビルボード誌のアダルト・コンテンポラリー・チャートで4位を記録。1984年には、ティファナ・ブラス名義でアルバム "Bullish" をリリース。 1987年には、ジャネット・ジャクソンをヴォーカルに招いた「ダイアモンド」がヒットした。ソロ名義のアルバムには、夫人でセルジオ・メンデスとブラジル'66の元ヴォーカリスト、ラニ・ホール(Lani Hall)が参加し、ヴォーカル作での共演曲も多い。1988年には第22回スーパーボウルで試合開始前の国歌斉唱でアメリカ国歌を演奏した。 1962年から1992年にかけてアルパートはA&Mレコードと所属するミュージシャン、バンドとの契約やプロデューサーとしても活動し、中でもプロデュースした著名なミュージシャンとしては、カーペンターズやセルジオ・メンデス、ビル・メドレー、ジャネット・ジャクソン等がいる。
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