ティファナ・ブラス期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 09:27 UTC 版)
「ハーブ・アルパート」の記事における「ティファナ・ブラス期」の解説
アルパートは自身のガレージ内に小さいレコーディング・スタジオを起こし、その第一弾として"The Lonely Bull"(邦題「悲しき闘牛」)をレコーディング、自費でこのシングルをプレスした。そしてラジオDJを通して人気が広まり出した。 人気に応じて他曲も録音、ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス名でデビューアルバム、『The Lonely Bull』をリリースした。このシングルは後にビルボード誌のポップ・シングル・チャート6位にまで達した。A&Mレーベル初のヒット・レコード盤となるが、録音したのはコーンウェイ・レコード(Conway Records)のスタジオだった。 1964年の終わりになると、アルパートはティファナ・ブラスを正式なバンドへ転換させる事を決意し、メンバーのオーディションを行い態勢を整えていく。「ただしメンバーの中にヒスパニックはいなかった」。 メンバーはアルパートを中心に、ジョン・ピサーノ(英語版) (guitar) 、ロウ・パガーニ(Lou Pagani) (piano)、 ニック・セロリ(Nick Ceroli) (drums)、 パット・セネター(Pat Senatore) (bass); 、トニー・カラッシュ(Tonni Kalash) (trumpet) 、ボブ・エドモンソン(Bob Edmondson) (trombone & percussion) となる。このバンドは1965年にデビューし1969年まで活動した。 日本で一番有名な楽曲と見られる"ビター・スウィート・サンバ"は1967年10月2日にスタートした深夜ラジオ番組の王道であるニッポン放送系の「オールナイトニッポン」のテーマ音楽として親しまれている。この曲は1965年リリースのWhipped Cream & Other Delightsに収録されており、2006年にリイシューCDがリリースされている。 ティファナ・ブラスは数多くのヒット曲、アルバム・チャートNo.1を獲得するアルバムを生み出した。特に、1966年リリースの アルバム"『What Now my Love』" (邦題:そして、今は) はビルボード誌のトップ200・アルバム・チャートで9週連続No.1を記録している。 1968年、ハル・デヴィッド作詞、バート・バカラック作曲の「ディス・ガイ(This Guy's in Love with You)」をヴォーカリストとして発表。この曲は彼にとって、初の全米No.1ヒットになった。
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