セバスチャンによる諜報活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 10:14 UTC 版)
「ヴィルヘルム・セバスチャン」の記事における「セバスチャンによる諜報活動」の解説
チーム・カラツィオラの縁から、セバスチャンはアルフレート・ノイバウアーをはじめとするダイムラー・ベンツの関係者とも親交があり、ノイバウアーによれば、アウトウニオン在籍時にメルセデスチームにスパイを仕掛けていたという。 イタリアの料理人 1939年シーズン前のモンツァテストに際して、メルセデスチームはテスト期間中のチームスタッフたちの昼食を作らせるため、一人の料理人を雇った。アウトウニオンのミラノ代理店から紹介されたそのイタリア人は、「ドイツ語は話せないが、イタリアで最高のスパゲッティと肉団子を作る」という触れ込みだった。 この人物はたしかに料理が上手だったが、実は料理よりも車のことのほうがさらに詳しく、ドイツ語も堪能だった。テストの期間中、チームの首脳陣は昼食の間もテスト結果や車の機構について議論しており、そのイタリア人料理人は何食わぬ顔でその場に居合わせ、内容に聞き耳を立て、毎日詳細なレポートをアウトウニオンに送っていた。 トリポリの無線 当時イタリア植民地だった北アフリカのトリポリで開催されていたトリポリグランプリ(英語版)では、トリポリとイタリア本国の間に電話線は通じていなかったため、ヨーロッパに電話をするにはトリポリからローマの郵政局に短波を飛ばして経由させる必要があった。しかもこの短波通信は定められた時間にのみ発信することができるというものだった。トリポリでノイバウアーとルドルフ・ウーレンハウトが通話のためにたびたびホテルに戻っていることに気づいたセバスチャンは、短波受信機を調達してイタリア郵政局の周波数にセットし、決められた時間になると自分もホテルの部屋に戻って彼らがシュトゥットガルトの本社と通話する内容を傍受していた。 いずれも、メルセデス・ベンツとアウトウニオンが争っていた時代から20年ほど経った頃にセバスチャンがノイバウアーに語ったという内容で、真偽は不明だが、ノイバウアーはこの話を聞いて、諜報活動など当時の自分には思いもつかなかったことでむしろ感心したということを自伝に記している。 他にも、メルセデスチームが秘密裏に開発していたW165の存在をセバスチャンがなぜか知っていて、W165のテスト日にホッケンハイムリンクに忍び込んで現れたり、メルセデスチームが速度記録車(W125レコルトワーゲン)に密かに搭載していた氷を使った冷却装置をアウトウニオンもなぜか同時に採用していたりするなど、ノイバウアーはスパイの存在を示唆する記述を残している。
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