スワースモア大学
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スワスモア大学 | |
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スワスモア大学
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大学設置/創立 | 1864年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | The President and Fellows of Swarthmore College |
本部所在地 | ペンシルベニア州スワスモア(フィラデルフィア都市圏内) 北緯39度54分18秒 西経75度21分14秒 / 北緯39.90500度 西経75.35389度座標: 北緯39度54分18秒 西経75度21分14秒 / 北緯39.90500度 西経75.35389度 |
学生数 | 1,667、1,651 |
キャンパス | スワスモア |
学部 | 教養学部 |
研究科 | なし |
ウェブサイト | http://www.swarthmore.edu/ |
スワスモア大学(英語: Swarthmore College)は、ペンシルベニア州スワスモア(フィラデルフィア都市圏内)に本部を置くアメリカ合衆国の私立大学。1864年創立、1864年大学設置。
概要
アイビー・リーグレベルの教育を少人数で提供している、2023年度における合格率は8%と全米屈指の知的水準を誇る最難関校。リベラル・アーツ・カレッジ群リトル・アイヴィーの一校。一学年350人程度の少数精鋭教育でありながら、これまで計6名のノーベル賞受賞者を輩出するなど、その学問水準の高さには全米的に定評がある。理工系に特化した大学をのぞけば、卒業生の博士号取得率は全米1位(理工系も含めればカリフォルニア工科大学、ハーヴィー・マッド大学の2校に次いで全米3位)(2006年度)[1]。
様々な大学ランキングでも常に上位を占めてきている。
- AcademicInfluenceによるランキング(注) リベラル〜アーツカレッジ 全米1位(2021年)
- 総合大学との混合ランキング 全米11位(2021年)
- プリンストンレビュー"Best Value" private college 全米1位(2009, 2010 and 2011年度)[2]
- フォーブス誌大学ランキング 総合部門 全米3位(2014年度) [3]
- ベストカレッジランキング 総合部門 全米3位(2012年度)[4]
- USNEWSランキング リベラルアーツカレッジ部門 全米4位 (2023年度)
(注)ビッグデータを用いたAI分析をもとに、教授人と卒業生の影響力を測ったランキング[5]
日本との関係は深く、学術協定を結ぶ東京大学と交換留学制度がある。また日本の外務省は、英語を研修語とする新人外交官を派遣している。
主な卒業生
- ハワード・マーティン・テミン (遺伝学者・ノーベル生理学・医学賞受賞)
- ジョン・C・マザー(天体物理学者, ノーベル物理学賞受賞)
- デビッド・ボルティモア(分子生物学者、1975年ノーベル生理学・医学賞受賞、カリフォルニア工科大学学長)
- エドワード・プレスコット (経済学者、ノーベル経済学賞受賞)
- クリスチャン・アンフィンセン (生化学者、1972年ノーベル化学賞受賞)
- サンドラ・ファバー(宇宙飛行士、カリフォルニア大学教授)
- ロバート・パットナム (政治学者、ソーシャルキャピタルの概念の提唱者)
- クリストファー・エドリーJr(カリフォルニア大学バークレー校ロースクール学長)
- サンドラ・フェイバー(天文学者)
- シャーロット・ムーア=シタリー (天文学者)
- サンドラ・フェイバー (天文物理学者)
- H.C.ロビンス・ランドン (音楽学者)
- デイヴィド・ルイス(哲学者)
- アラン・ギバード (哲学者)
- ルーディ・ラッカー (小説家、哲学者ヘーゲルの曾々々孫)
- ジョン・ホップフィールド (科学者、2024年ノーベル物理学賞受賞)
- テッド・ネルソン (電子工学のパイオニア)
- ヘレン・ホワイト (米国で博士号を取得した初めての女性)
- ジョナサン・フランゼン (電子工学のパイオニア)
- フィービ・スネツィンジャー(アマチュア鳥類学者)
- マイケル・デュカキス(政治家、米国大統領候補)
- ロバート・ゼーリック(世界銀行総裁)
- カール・レビン(政治家、米国上院議員)
- クリス・ヴァンホレン(政治家、米国下院議員)
- パトリック・アウワ (ガーナ、アシェヒ大学創立者)
- ジェローム・コールバーグJr (プライベートエクイティーファンド、コールバーグ・クラビス・ロバーツ創立者)
- クリスティーナ・フィゲレス (気候変動枠組条約(UNFCCC)事務局長)
- 主な日本人卒業生
- 伊藤恵子(作家、初代伊藤忠兵衛の玄孫)
- 佐々江賢一郎 (外交官、駐米大使、外務事務次官)
- 岡本行夫 (外交官、外交評論家、外交顧問、首相補佐官、内閣官房参与)
- 草賀純男(外交官、駐オーストラリア大使、儀典長)
- 渡邉允 (外交官、侍従長、式部官長、儀典長)
- 河相周夫 (外交官、侍従長、式部官長、外務事務次官、内閣官房副長官補)
- 佐野利男 (外交官、駐デンマーク大使、軍縮会議代表部大使)
- 山田中正 (外交官、駐インド大使、国連国際法委員会委員)
- 宇山智哉(世界貿易機関事務局長上級補佐官)
- 高木信二 (大阪大学経済学部教授)
- 会田卓司 (クレディ・アグリコル証券 チーフエコノミスト)
- 御手洗剛(スタンフォード大学医学部救急科教授)
脚注
- ^ REED COLLEGE PHD PRODUCTIVITY
- ^ College Rankings
- ^ #25 Swarthmore College
- ^ Top 50 Colleges & Universities in America for 2013 - The Best Colleges
- ^ Staff, A. I.. “50 Best Colleges & Universities of 2021” (英語). academicinfluence.com. 2021年1月30日閲覧。
外部リンク
スワースモア大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 20:37 UTC 版)
「ナンシー・ローマン」の記事における「スワースモア大学」の解説
ローマンは天文学を学ぶつもりでスワースモア大学に進んだ。女性の学生部長は、これにはあまり賛成しなかった。ローマン曰く「もし理工系を専攻すると言い張っていたら、彼女はもう何もしてくれなかっただろう」。学生部長は、ピート・ファンデカンプが学部長を務めていた天文学部に紹介した。彼は賛成こそしなかったが、彼女に天文学を教えた。ローマンは使われていなかった2台の学生用望遠鏡を使って研究に取り組んだ。ローマンは、このことが彼女にとって「観測機器や装置の感触をつかみ、観察技術をいじりまわすことを楽しむことができた」という点で貴重であったと述べている。彼女は、「50年前に先人が撮影した写真乾板を使ったのだから、50年後に後継者が使う写真乾板に交換する義務がある」というファンデカンプの思想を受け継ぎ、2年生のときからスプロール天文台で天文写真の写真乾板加工を始めた。ファンデカンプは、ローマンに位置天文学について講義し、天文学ライブラリの使用を奨励することで職業としての天文学について学ぶことを彼女に勧めた。彼女は1946年2月に卒業したが、ファンデカンプは第二次大戦後に天文学部門を再建したシカゴ大学の大学院で天文学を続けることを提案した。スワースモア大学卒業後もローマンは、1980年から1988年までスワースモア大学の第三者委員会の委員を務めるなど、母校との関わりを持ち続けた。
※この「スワースモア大学」の解説は、「ナンシー・ローマン」の解説の一部です。
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