スラブぶきょく【スラブ舞曲】
スラヴ舞曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 15:28 UTC 版)
『スラヴ舞曲集』(スラヴぶきょくしゅう、チェコ語: Slovanské tance)は、アントニン・ドヴォルザークが作曲した舞曲集。元はピアノ連弾のために書かれたが、作曲者自身によって全曲が管弦楽編曲された。各8曲からなる第1集作品46(B83)と第2集作品72(B147)がある。
- 1 スラヴ舞曲とは
- 2 スラヴ舞曲の概要
- 3 参考文献
スラヴ舞曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:55 UTC 版)
「アントニン・ドヴォルザーク」の記事における「スラヴ舞曲」の解説
スラヴ舞曲 第1集 作品46、B.83 (4手ピアノ版はB.78) 【1. ハ長調 / 2. ホ短調 / 3. 変イ長調 / 4. ヘ長調 / 5. イ長調 / 6. ニ長調 / 7. ハ短調 / 8. ト短調】 1878年、出版社ジムロックからの要請で作曲されて大成功を収め、ドヴォルザークを当時の音楽界の中心へと押し上げる契機となった作品である。最初、4手のピアノ作品として作曲、出版されたが、出版と同時に大人気となり、ただちに管弦楽版の出版が決まった。管弦楽版の初演は1878年5月16日に第1、3、4番の3曲がアドルフ・チェフの指揮で行われている。 スラヴ舞曲 第2集 作品72、B.147 (4手ピアノ版はB.145) 【1. ロ長調 / 2. ホ短調 / 3. ヘ長調 / 4. 変ニ長調 /5. 変ロ短調 / 6. 変ロ長調 / 7. ハ長調 / 8. 変イ長調】ただし、番号は第1集からの通し番号で、9番から16番で呼ばれる場合もある。 第1集の大成功から、ジムロックは第2集の作曲をドヴォルザークに依頼したが、彼はこのころ大作の作曲に取りかかっており、同じ形式の小曲をさらに8曲作曲することに興味が持てずにいた。しかし、8年後の1886年6月、突然この作品集に取りかかると、1ヶ月後の7月には4手ピアノによる作品8曲を完成させた。管弦楽編曲は1886年11月から1887年1月にかけて行われ、1887年1月6日、作曲者自身が指揮を執りプラハで第1、2、7番の初演を行っている。 第1集に比べ、チェコ特有の音楽が抑えられ、汎スラブ的色彩の強い作品集となっているのが特徴である。
※この「スラヴ舞曲」の解説は、「アントニン・ドヴォルザーク」の解説の一部です。
「スラヴ舞曲」を含む「アントニン・ドヴォルザーク」の記事については、「アントニン・ドヴォルザーク」の概要を参照ください。
スラヴ舞曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/24 14:28 UTC 版)
「いやいやながらの王様」の記事における「スラヴ舞曲」の解説
「スラヴ舞曲」は、第3幕への導入の音楽で、華やかで生き生きとした雰囲気を盛り上げる。こちらも多く演奏される。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
※この「スラヴ舞曲」の解説は、「いやいやながらの王様」の解説の一部です。
「スラヴ舞曲」を含む「いやいやながらの王様」の記事については、「いやいやながらの王様」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- スラヴ舞曲のページへのリンク