スヤ5(スヤ34 2)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/21 23:11 UTC 版)
「特別職用車」の記事における「スヤ5(スヤ34 2)」の解説
1948年にGHQの石炭調査団が編成された際、その巡察用に整備されたスイネ34 1が前身で、その際、連合軍の許可を得て、白帯にJ.G.R.の標記と、連合軍専用車をまねた「BLACK DIAMOND」の愛称が標記された。1951年(昭和26年)3月に高砂工機部で特別職用車スヤ5(スヤ34 2)とされた。展望室はなく、前位から物置(出入り台)、調理室、個室寝台2室、会議室、ツーリスト型寝台12人分、出入り台である。定員は8人。 もとは、1930年(昭和5年)に特急「富士」用に製造された三等車スハ33909で、1937年(昭和12年)にスハ32568に改番され、さらに1938年(昭和13年)に病客車に改造されてスヘ32568となった。1941年の称号規程改正では、スヘ30 17となり、1943年(昭和18年)に保護室を設けてスヘセ30 17となった。戦後は、1946年4月に小倉工機部で連合軍用の病院車に改造され、スヘ31 11(軍番号 2912、軍名称 BRISCOM)となった。その際に保護室が撤去され、調理室が設けられている。 特別職用車の任を解かれた後は、1952年3月に土崎工場で三等車に復元されてスハ33 26となり、その後、1963年10月にオハネ17 141の改造種車となり、消滅した。
※この「スヤ5(スヤ34 2)」の解説は、「特別職用車」の解説の一部です。
「スヤ5(スヤ34 2)」を含む「特別職用車」の記事については、「特別職用車」の概要を参照ください。
- スヤ5のページへのリンク