ストーンヘンジ3i
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 01:33 UTC 版)
「ストーンヘンジ」の記事における「ストーンヘンジ3i」の解説
考古学的発掘によると、紀元前2600年頃、石のほうを好んだため木の柱は放棄され、同心円状の三日月型の穴(Qホール、Rホールと呼ばれている)が遺跡の中央に掘られたことが分かった。やはりこの段階でも時代を特定する証拠はほとんど無い。穴には80個の起立した石が置かれていたが、43個しか特定できていない。ブルーストーン(火成岩のドレライト)は250km離れたウェールズのペンブロークシャーにあるプレセリの丘から人間の手で運ばれてきたと考えられてきたが、最近、アイリッシュ海氷河による氷堆石がより近くにあったという説が出ている。その他の起立した石は約4トンあり、ほとんどがオルドビス紀のまだら模様をしたドレライトだが、流紋岩、凝灰岩、および火山灰と石灰質の灰を含んでおり20種もに分類される。それぞれ高さ2m、幅1m~1.5m、厚さ0.8mである。ブルーストーンの2倍の高さがあり重量6トンの緑色の雲母質の砂岩である祭壇石 (Alter Stone) として知られるものもまた、プレセリの近くのウェールズの海岸から運ばれたもので、単独の一枚岩として立てられたと考えられる。 北東の入り口(入り口を示す2つの石がある)もこの段階で拡張され、当時の夏至の日の出と冬至の日没の方角に正確に合致するようになった。この段階の遺跡は未完成のまま放棄されたが、ブルーストーンは明らかに取り除かれ、QホールとRホールは意図的に埋め戻された。それでも、この遺跡はこの段階の終わりごろかけては、エイブベリーをしのぐ重要度を持っていた。2002年に5km南で発見されたエームズベリーの射手(en:Amesbury Archer)は、この段階の遺跡を見ていたかもしれない。 ヒールストーン(英語版) (5) もまた、この段階に北東の入り口の外に立てられたが、その時代は特定できず、第3段階のいずれかの時点で立てられたようだ。今はもう見ることが出来ないが、最初は二番目の石もあった。北東の入り口のすぐ内側に二つ(もしかしたら三つかもしれない)の門の石が立てられたが、今では、長さ4.9mのスローターストーン (4) が倒れた状態で残っているのみである。概ね第3段階のものとされるその他のものに、盛り土の上に2つ立っているステーションストーン (6) がある。この盛り土は古墳という呼び名で知られているが、遺体は埋まっていない。エイボン川まで3kmに渡り平行に走る2本の堀と土塁であるアベニュー(10)もまた、第3段階で加えられた。後に、ステーションストーンとヒールストーンを囲む形で堀が掘られたが、その時点ではヒールストーンは一つだけになっていた。
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