ストーンヘンジとギーザ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 09:00 UTC 版)
「フリンダーズ・ピートリー」の記事における「ストーンヘンジとギーザ」の解説
10代のころはイギリス国内の先史遺跡の幾何学的配置について調査した。最初は生家のあるチャールトン付近の古代ローマのカストラ、19歳のときにはストーンヘンジに取り組んだ。1880年の初め、ピートリーはエジプトに向かい、ギーザの大ピラミッドも同様の原理で調査し、ピラミッドがどう構成されているのかを適切に調査した最初の人物となった。ピラミッドに関する様々な理論は全てピートリーの調査が発端である。後にピートリーはそういった理論を全て読んでみたが、いずれも適切な観察や論理に基づいていないと述べている。ピートリーが行ったギーザの建築物についての三角測量調査結果と分析はその方法と精度において模範的であり、今もピラミッド高原についての基礎資料として利用されている。 このときの訪問で、ピートリーは遺跡やミイラの破壊率を嘆いている。ガイドブックにあった遺跡の一部は、そのころすでに完全に破壊されていた。彼はエジプトについて「火事になった家のようなもので、破壊は素早く進行している」と記している。そして自身の使命を「助けられるだけのものをなるべく素早く助け出すことだ。そして60歳になったらそれら全てについて落ち着いて書けるようになるかもしれない」としていた。
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