スタルクフォンテイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 02:42 UTC 版)
「南アフリカの人類化石遺跡群」の記事における「スタルクフォンテイン」の解説
スタルクフォンテイン(英語版)の洞窟群はヨハネスブルグから北西に約35 kmに位置し、行政府プレトリアからもそれほど遠くない。この洞窟群は1896年に金鉱山の探索者によって発見されたが、それ以来、石灰岩の採掘場になっていた。 レイモンド・ダートによる初のアウストラロピテクス属であるタウング・チャイルドの公表(1925年)は、当時ほとんど受け入れられなかった。しかし、例外的にその意義を認めていた古生物学者ロバート・ブルームは、ダートの研究室に事前連絡なしに押しかけ、ダートには目もくれず、タウング・チャイルドの前でひざまずくという行為に出たという。ブルームは1936年に、その縁で面識のあったダート研究室の学生からスタルクフォンテインで化石が出る(従来から動物の化石が出るという話が知られていた)と聞いて現地を訪れ、石灰石の採掘現場の監督ジョージ・バーローに化石を探しておいてほしいと依頼した。そして再訪した同年8月に渡された化石こそが、アウストラロピテクスの化石断片であった。 スタルクフォンテインでの調査は第二次世界大戦などの影響で一時中断したが、1947年に再開された。このときの調査では、ほぼ完全なアウストラロピテクス・アフリカヌスのメス成体と見られる頭蓋骨化石が発見された。「ミセス・プレス」 (Mrs. Ples)との愛称が与えられたこの化石は、スタルクフォンテインの名を広く知らしめた。ミセス・プレスが発見された時点でブルームは80歳になっており、84歳で没することになる。 その後も、後続の学者たちによってスタルクフォンテインの発掘は続けられ、主に260万年前から150万年前までと見られる層から、670個体分の化石人骨(ほとんどがアウストラロピテクス・アフリカヌス)が出土している。 だが、それら以上に重要なのがリトル・フット(英語版)の発見である。その全身骨格はルーシー、セラム、トゥルカナ・ボーイなどに匹敵する保存状態のよさを備えていると見られている。ただし、この化石は1997年に発見されたものの、2010年時点でも角礫岩の層からの慎重な取り出し作業が続いており、全身像の復元ができておらず、正確な種の特定にも至っていない。年代も後述する南アフリカの化石出土地特有の複雑な事情があるせいで、古ければ400万年前、新しければ220万年前とかなりの幅がある。取り出し作業が終了した暁には、化石人骨の中で最も多くの部位が残存している標本となることが期待されている。
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