スタックスと『黒いジャガー』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 02:52 UTC 版)
「アイザック・ヘイズ」の記事における「スタックスと『黒いジャガー』」の解説
1962年に本格的に音楽活動を開始。メンフィスを拠点に1960年代中期よりスタックス・レコードでスタジオ・ミュージシャンとして活動し、オーティス・レディングやウィルソン・ピケット等と共演。ソングライターのデイヴィッド・ポーターと共に"You Don't Know Like I Know"、"Soul Man"、"When Something Is Wrong with My Baby"や"Hold on I'm Comin'"(全米21位、R&Bチャート1位)といった楽曲をサム&デイヴに提供した。また、ヘイズはスタックスのハウス・バンド、ブッカー・T&ザ・MG'sやカーラ・トーマスほか、レーベル所属のミュージシャンをプロデュースした。 1968年にデビュー作『Presenting Isaac Hayes』をリリースしたが、商業的には成功しなかった。スタックスはアトランティックより独立して間もない時期であり、サム&デイヴほかの版権もアトランティックに渡っていた。加えて、同じ年に稼ぎ頭のオーティス・レディングが航空機事故で亡くなり、スタックスは困難に直面していた。スタックスの副社長のアル・ベルは多くの新しいアルバムを1969年中に完成するように求め、その中からヘイズが発表した『Hot Buttered Soul』(1969)は最も成功した。 1971年、映画『黒いジャガー』の音楽を制作。サウンドトラック・アルバムは全米1位・全英17位に達し、グラミー賞 映画・テレビサウンドトラック部門とゴールデングローブ賞 作曲賞を受賞。テーマ曲「黒いジャガーのテーマ(Theme from Shaft)」も全米1位を獲得し、アカデミー歌曲賞やグラミー賞のインストゥルメンタル・アレンジ部門を受賞。また、1971年発表のオリジナル・アルバム『Black Moses』も、全米10位の成功を収め、グラミー賞のポップ・インストゥルメンタル部門を受賞。 1972年8月20日にロサンゼルス・メモリアル・コロシアムで行われたコンサート「ワッツタックス」のトリを務める。コンサートを収録した映画『ワッツタックス/スタックス・コンサート』は翌1973年に公開された。1974年には映画『タフ・ガイズ』『トラック・ターナー』の音楽を担当した。だが、75年にスタックスは倒産し、ヘイズはレーベルを離れることになった。 1977年には、ディオンヌ・ワーウィックとの共演盤『A Man and a Woman』を発表している。1979年にはディスコ曲「ドント・レット・ゴー」を発売し、ヒットさせた。ヘイズはミリー・ジャクソンともデュエットした。
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