スコットランド女王メアリーとの結婚計画とは? わかりやすく解説

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スコットランド女王メアリーとの結婚計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 09:10 UTC 版)

トマス・ハワード (第4代ノーフォーク公)」の記事における「スコットランド女王メアリーとの結婚計画」の解説

1568年5月カトリックスコットランド前女メアリープロテスタント貴族たちに王位追われていた)がスコットランド脱出してイングランドへ亡命しエリザベス援助乞うたが、そのままイングランド軟禁状態に置かれる事件があった。また同年12月にはネーデルラントプロテスタント反乱の鎮圧に当たるアルバ公への軍資金乗せたスペイン船がイングランド漂着する拿捕される事件があった。 こうした政治情勢から宮廷内ではレスター伯爵中心に宰相ウィリアム・セシル排除しようという動き活発化し、第7代ノーサンバランド伯爵トマス・パーシーや第6代ウェストモーランド伯爵チャールズ・ネヴィルらカトリック北部諸侯の間ではメアリーイングランド王に付け計画推進されるようになったメアリーもその計画前向きであり、彼女は自分とノーフォーク公結婚計画積極的に推進し北部諸侯(彼らは結婚計画にはあまり乗り気ではなかった)の同意得たノーフォーク公自分カトリックではないと主張していたが、最終的にメアリー結婚する決意固めた。ただしノーフォーク公にとってこの結婚計画大逆のためではなくイングランド国益考えてのことであったエリザベスメアリースコットランド女王復位させた時、イングランド貴族が夫になっている方がスコットランドイングランドの関係が好転させやすいし、またメアリーカトリック陰謀から引き離すことができるからである。しかしエリザベスそのように捉える保証はなく、エリザベス自分への大逆罪認定した場合ノーフォーク公以下推進者全員処刑されてしまうので、ノーフォーク公にとってもこの計画博打だった。 エリザベス女王にいつ、どのような形で結婚計画上奏する思案しているうちに噂が宮廷中に広まり1569年9月頃には宮廷内の緊張高まった計画から手を引いたレスター伯爵告白聞いた女王は「ノーフォーク公爵メアリー結婚すれば、私は4か月以内ロンドン塔送りとなるであろう」と激怒した女王召還受けたノーフォーク公は、やむなく計画一部始終女王上奏したが、女王から凄まじい叱責受けた。これにより宮廷に居づらくなったノーフォーク公1569年9月16日女王許可を得ることなく独断宮廷退去しロンドン屋敷引きこもり病気理由にして参内拒否するようになった

※この「スコットランド女王メアリーとの結婚計画」の解説は、「トマス・ハワード (第4代ノーフォーク公)」の解説の一部です。
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