ジャック・ウィリアムズ (フリゲート)
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艦歴 | |
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発注: | 1977年2月28日 |
起工: | 1980年2月25日[1] |
進水: | 1980年8月30日[1] |
就役: | 1981年9月19日[1] |
退役: | 1996年9月13日[1] |
除籍: | 1996年9月13日 |
その後: | バーレーン海軍へ移管[1] |
要目 | |
排水量 | 基準:3,159t |
満載:4,057t | |
全長 | 445 ft (136 m) |
全幅 | 45.4 ft (13.8 m) |
吃水 | 22 ft (6.7 m) |
機関 | COGAG方式 |
LM2500-30 ガスタービンエンジン(20,500shp)×2基 | |
可変ピッチプロペラ(5翔)×1軸 | |
非常用旋回式スラスター(350hp)×2基 | |
最大速 | 29ノット以上 |
航続距離 | 4,500海里(20ノット巡航時) |
乗員 | 206名(士官13名) |
兵装 | Mk.75 76mm単装速射砲×1基 |
Mk.38 25mm単装機関砲×2基 | |
Mk.15 20mm CIWS×1基 | |
M2 12.7mm単装機銃×4基 | |
Mk.13 Mod.4 ミサイル単装発射機×1基 *SM-1MR SAM *ハープーン SSM を発射可能 |
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Mk.32 Mod.7 3連装短魚雷発射管×2基 | |
艦載機 | SH-2F シースプライト LAMPS ヘリコプター×1機 ※さらに1機搭載可能 |
C4ISTAR | NTDS(JTDS+リンク 11/14) |
Mk.92 FCS(SM-1MR、76mm砲用) | |
AN/SQQ-89 ASWCS | |
センサ | AN/SPS-49対空捜索レーダー |
AN/SPS-55対水上捜索レーダー | |
AN/SQS-56船底装備ソナー | |
AN/SQR-19曳航ソナー | |
電子戦 | AN/SLQ-32(V)2 ESM装置 |
Mk.36 デコイ発射装置 | |
モットー: | Guardez Bien |
ジャック・ウィリアムズ (英語: USS Jack Williams, FFG-24) は、アメリカ海軍のミサイルフリゲート。オリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートの16番艦。艦名は硫黄島の戦いで戦死し、名誉勲章を受章したジャック・ウィリアムズ三等衛生兵曹(PhM3c)に因む[1]。
艦歴
ジャック・ウィリアムズは1977年2月28日にFY77プログラムの一部としてメイン州のバス鉄工所に建造発注された。1980年2月25日に起工、1980年8月30日に進水し、1981年9月19日に就役した[1]。
1982年4月2日より、SLQ-32電子戦システムの設置作業を実施[1]。
1983年4月29日から11月10日にかけて、初の海外派遣任務に従事[1]。レバノンのベイルートに駐留中だった10月23日にベイルート・アメリカ海兵隊兵舎爆破事件が発生したことから、翌24日に救助・支援チームを上陸させた[1]。
1984年12月から翌年1月まで、東太平洋で麻薬対策作戦に従事[1]。
1985年10月より、コーラル・シー戦闘群と共に世界一周展開に出航、1986年5月にメイポートに帰還した[1]。
1987年1月から5月にかけて、定期整備を実施[1]。
1988年1月から7月にかけて中東に展開[1]。翌1989年7月から再度中東に展開し、1990年1月にメイポートに帰還した[1]。
1990年11月、カリブ海で3週間の麻薬対策作戦に従事[1]。
1991年3月7日、エンジントラブルを起こしたヨットからの信号を受け、乗員3名を救助[1]。以後、1991年中は麻薬対策作戦に従事[1]。
1992年5月より、地中海/紅海に展開[1]。紅海では国連の対イラク制裁を支援する海上迎撃作戦に従事した[1]。10月21日には地中海にてロシア海軍のウダロイ級駆逐艦アドミラル・パンテレーエフおよびロプーチャ級揚陸艦ベスポコイヌイと共同演習(PASSEX)を実施、ベスポコイヌイとは友好目的での物資交換(Light Line Transfer)も実施し、旧ソ連艦とこのような交流を行った最初の例となった[1]。
1993年と1994年にはハイチでサポート・デモクラシー作戦に従事[1]。1994年1月16日、荒天下で操船不能となったヨットからハイチ人乗員を救助した[1]。8月24日より、米国に亡命を求めるキューバ人難民の救出作戦に従事[1]。
1995年2月から3月にかけて、北海でストロング・リゾルブ95演習に参加[1]。1995年から1996年にかけてはカリブ海と東太平洋で麻薬対策作戦に何度か従事した[1]。1995年12月23日には、救急患者の救助作業に協力して、沿岸警備隊ヘリコプターへの給油と通信中継を行っている[1]。
ジャック・ウィリアムズは1996年9月13日に退役し、バーレーン海軍に移管された[1]。艦名はSabha (90)と改められた。
脚注
出典
関連項目
外部リンク
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