ジェイエア撤退とFDAによる路線開拓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:34 UTC 版)
「名古屋飛行場」の記事における「ジェイエア撤退とFDAによる路線開拓」の解説
2010年1月に経営破綻した日本航空の再建を巡り、同社の子会社であるジェイエアは当初、小型機中心の運航により採算を取ることが可能と考えられたことから、中部国際空港から当空港への路線移管によって、名古屋地区の路線を維持することで検討が進められた。 しかし、以下の理由から2011年春までに当空港から全面撤退することが表明された。これに対し地元自治体は強い反発を示していた。 競合他社である全日本空輸は名古屋地区では中部国際空港においてのみ路線展開をしており、旅客分散による中部国際・県営名古屋の両空港及び全日本空輸・日本航空の両社の“共倒れ”を国土交通省が懸念した。 2007年における中部国際空港との合意(当空港における新規路線開拓などの停止)。 債権者である銀行団からの反発。 定期便を中部国際空港に一元化させたい愛知県航空対策課や地元経済界の意向。 一方、静岡県の地域航空会社であるフジドリームエアラインズ(以下、FDA)が県営名古屋空港への定期便の就航に意欲的な姿勢を見せており、日本航空の一部路線引き継ぎも視野に入れて愛知県と交渉中であることが発表され、この交渉の結果、2010年冬ダイヤからの福岡空港便のFDAへの運航移管およびJALとのコードシェアが決定した。さらに、ジェイエアが完全撤退する2011年夏ダイヤからは阿蘇くまもと空港便をFDAに運航移管し、この路線もJALとコードシェアになった。 これにより、ジェイエアは予定通り2011年3月26日をもって当空港から撤退し、JALグループの名古屋空港カウンターも同日をもって業務を終了したが、ジェイエア撤退後に定期便が1つも無い空港になることは回避できた。その後2010年代に入ると、FDAは静岡空港から実質的な拠点機能を移転させ、ジェイエアの運航していた路線を中心に名古屋空港からの路線を徐々に拡大した結果、2015年春の時点で名古屋空港発着国内線9路線まで展開していたが、2019年に北九州線が利用客の低迷で運休となったため、2019年5月現在では、8路線となっている。 日本航空は、不採算路線の一つであり2010年5月をもって運休した中部国際空港 - いわて花巻空港と青森空港は中部国際空港から当空港発着に変更され、JALからFDAへ移管された。当初はこの路線はJALとのコードシェアは行っておらず、FDAの単独での運行となっていたが、2022年3月27日より当路線においても、JALとコートシェアとなった。 東日本大震災の復興支援の一環として、上記の路線にFDAが就航した。
※この「ジェイエア撤退とFDAによる路線開拓」の解説は、「名古屋飛行場」の解説の一部です。
「ジェイエア撤退とFDAによる路線開拓」を含む「名古屋飛行場」の記事については、「名古屋飛行場」の概要を参照ください。
- ジェイエア撤退とFDAによる路線開拓のページへのリンク