昭南港爆破事件
(ジェイウィック作戦 から転送)
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昭南港爆破事件(しょうなんこうばくはじけん)は、第二次世界大戦中の1943年9月27日に、日本軍が占領統治していた昭南特別市(シンガポール)のケッペル港で、停泊中の輸送船やタンカー7隻が爆沈した事件。事件はイバン・ライアン少佐らイギリス軍およびオーストラリア軍の特殊部隊(Z特殊部隊)のジェイウィック作戦(Operation Jaywick)によるものだったが、当時の日本軍は犯人を特定できず、同年10月に事件への関与を疑って連合国人約50人を逮捕・拷問し、15人を拷問死させた(双十節事件)。第7方面軍は事件を契機に昭南を戦時体制に移行して監視・防諜体制を強化し、昭南特別市に市民の疎開を命じた[注釈 1]。
注釈
- ^ この記事の主な出典は、遠藤(1996)および篠崎(1976) 97-98,191-196頁。
- ^ シンガポールでは、島の南側にある港を「ケッペル港」と呼び、通常商船が使用、島の北側(ジョホール側)にある港は「セレタ軍港」と呼ばれ、軍用の港として知られていた。ケッペル港を更に細かくローズ錨地、検査錨地に分けることもあった(遠藤(1996)58頁)。
- ^ 「ジェイウィック」は当時シンガポールで売られていた防臭剤の名前で、日本軍を便所に見立てて、その臭いを一掃するという意味で作戦名とされた(遠藤(1996) 46頁)。
- ^ 篠崎(1976) 97,195頁。機関長・吉永大尉。マレー・スマトラの各種小型船舶を登録し、タイからの米の運搬業務の傍らで海上情報の収集にあたった。
- ^ 機関長・石島少佐
- ^ 司令部はペナンで、昭南に支部を置いた。機関長・日高震作大佐。
出典
- 1 昭南港爆破事件とは
- 2 昭南港爆破事件の概要
- 3 参考文献
ジェイウィック作戦
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「昭南港爆破事件」の記事における「ジェイウィック作戦」の解説
爆破は英国陸軍のイバン・ライアン少佐らイギリス軍・オーストラリア軍混成の特殊部隊による作戦行動(ジェイウィック作戦)によるものだった。 ライアン少佐は、太平洋戦争の開戦当時、イギリスの特殊作戦執行部に所属し、シンガポールからの一般住民の脱出を支援していたが、シンガポールが陥落する直前にシンガポールを脱出してコロンボへ逃れ、その後オーストラリアへ渡って、エクスマウス湾(英語版)を基地としてオーストラリア軍の将兵から志願者を募り、将校4人、兵士10人から成る決死隊を組織した。 1943年9月2日、決死隊の14名は、日本漁船「幸福丸(英語版)」を偽装した「クレイト号」でエクスマウス湾を出発し、9月18日にリアウ諸島中の無人島パンジャン(Panjang)島に到着した。そこで6名の隊員を3隻のカヌーに分乗させ、カヌーは9月20日にパンジャン島を出発し、9月26日夜、スバール(Subar)島からケッペル港に侵入し、目標とした船にリムペット(吸着爆弾)を装置して退却、10月2-3日にポンポン(Pompong)島で「クレイト号」に収容され、エクスマウス湾の基地に帰投していた。
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