シカゴ大学在籍とは? わかりやすく解説

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シカゴ大学在籍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 08:35 UTC 版)

早川雪洲」の記事における「シカゴ大学在籍」の解説

1907年7月25日金太郎ワシントン州シアトル到着しアメリカへの第一歩踏み出した金太郎アメリカにいる知人頼ろう思いシアトルから連絡船乗ってサンフランシスコ向かった自伝によると、サンフランシスコ到着したのは夜12時半で、船長波止場危険だから一夜明かしてから下船するようにと言われたが、金太郎はそれを無視し船内意気投合した自称柔道4段日本人勝手に下船したところ、すぐにピストル強盗に出くわし、自称柔道4段警官呼び行っている間に、金太郎ひとりで2人強盗投げ飛ばしたという。サンフランシスコ到着した金太郎は、他の日本人同じよう皿洗い農場作男などといった下働き仕事就いた1908年11月9日金太郎與一郎との約束にしたがって勉強をするため、シカゴ大学家庭勉学学部(ホーム・スタディ・デパートメント)に入学した與一郎入学8日前に71歳亡くなったが、金太郎日本からの便りでそれを知ったのは翌1909年夏のことだった。金太郎入学した家庭勉学学部は、在学で働くことを許可され大学構内来られない学生が、大学から渡される教材用いて自宅勉学する学部であり、現代通信教育にあたる。入学当時金太郎は、サザン・パシフィック鉄道停車場構内にあるレストラン給仕として働いており、後に洲の弟子となる青山雪雄はその姿を見かけたという。 金太郎入学当日から政治経済学原論第一専攻科目と、政治経済学原論第二専攻科目を受講し1909年12月23日履修終えた金太郎学籍記録には、政治経済学原論以外の科目履修した記録が全くなく、また学士号博士号取得したという記録もなかったことから、金太郎シカゴ大学在籍したのがわずか1年1か月余りに過ぎず卒業はしていない考えられている。しかし、後年洲は「シカゴ大学卒業したと言い続けている。また、自伝では、大学在籍中アメリカンフットボールチーム所属していたと主張しているが、大学側そのような記録残っていない。その後金太郎アイスクリーム製造業手を付けたり、メキシコ物件を扱う不動産会社就職したりするも満足はせず、3、4年間先の見えない苦しい生活を送り、兄宛ての手紙には「口には出せないほどの辛酸をなめた」と述べている。

※この「シカゴ大学在籍」の解説は、「早川雪洲」の解説の一部です。
「シカゴ大学在籍」を含む「早川雪洲」の記事については、「早川雪洲」の概要を参照ください。

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