シカゴ大学へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 05:01 UTC 版)
「ロバート・E・パーク」の記事における「シカゴ大学へ」の解説
「シカゴ学派 (社会学)#第二世代」も参照 1903年に帰国したパークは、1904年から1905年にかけての短期間、ハーバード大学で哲学の助手となった。ハーバード大学にいたパークは、高名な黒人教育者ブッカー・T・ワシントンからアラバマ州タスキーギの Tuskegee Institute(後の Tuskegee University)に招かれ、米国南部の人種問題に取り組んだ。 その後、1914年にシカゴ大学の社会学部に加わり、1936年に退職するまでここに留まった。さらにパークはテネシー州ナッシュビルの黒人大学フィスク大学(Fisk University)に移り、最晩年までここで教鞭を執り続けた。パークはナッシュビルにおいて、79歳で没した。
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