サラカツァニとヴラフ人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:14 UTC 版)
「サラカツァニ」の記事における「サラカツァニとヴラフ人」の解説
ルーマニア人とアルーマニア人の学者たちは、サラカツァニとアルーマニア人の共通の起源について解き明かそうと努めてきた。アルーマニア人はヴラフ人としても知られており、ギリシャの主要な遊牧民族を構成し、東ロマンス語族のアルーマニア語 を話す。一方で、サラカツァニはギリシャ語の北部地方の方言(英語版)を話している。 サラカツァニはギリシャにいるヴラフ人と地理的な分布を共有しているが、サラカツァニは更に南にも分布している。2つの集団の差異にもかかわらず、遊牧という共通の生活様式から、お互いを混乱しがちである。更に、ギリシャでは東ローマ帝国時代以来、「ヴラフ人」という言葉が、すべての遊牧民を区別なく参照するための言葉として使用されてきた。加えて、サラカツァニなどの遊牧民社会では自分達の下言語を破棄してすべてギリシャ語に置き換えてしまい、2、3世代のうちに方言となってしまったのではないか、との推定があることにも注意しなければならない。 John Campbell が1950年代のサラカツァニの現地調査の結果、サラカツァニはヴラフ人(すなわち アルーマニア人や Arvanitovlachs も含む)とは異なる位置づけにあると述べている。ヴラフ人 は通常ギリシャ語とアルマーニ語の両方を話すが、サラカツァニの人々の間ではギリシャ語のみを話し、その他の言語は知られていない。彼はまた、沿岸平原での冬の放牧に利用できる限られた地域への圧力が高まり、牧草地の使用に関する2つのグループの間で紛争が起こったと主張している。 John Campbell は、沿岸平原で冬の放牧に利用できる地域は限られており、争いの圧力が高まり、牧草地の使用をめぐって2つのグループの間で紛争が起こってきたとも主張している。それに加え、彼が調査している間、多くのヴラフ人は牧羊業をしない村に住んでいたことが多く、サラカツァニとは異なる芸術形態、価値観、制度を示していた。サラカツァニは、娘たちに負担をかけ、女性に低い地位を与え、より厳格な家父長制構造に固執するという点でもヴラフ人とは違っている。 Gheorghe Bogdan は、言語や伝統から見て、サラカツァニはギリシャ語に同化したヴラフ人の末裔であるとしている。 サラカツァニ自身は、常にギリシャのアイデンティティを強調し、ヴラフ人との関係を否定する。ヴラフ人もサラカツァニを自分達とは別の民族集団として、Graeci(すなわちギリシャ人)と呼ぶ。アルマーニ人 はギリシャ語を話す人々と自分達を区別して、自らを「Armânji」と呼ぶ。
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