サマール沖海戦と神風の初攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 09:04 UTC 版)
「サンガモン (護衛空母)」の記事における「サマール沖海戦と神風の初攻撃」の解説
翌10月25日、サンガモンから2機の航空機が飛び立ち、1機はミンダナオ海へ飛んで、スリガオ海峡で壊滅した西村祥治中将率いる南方の日本艦隊の生存者を捜索し、もう1機はレイテ島上空での空中警戒に向かった。1時間後、サンガモンは北へ約190キロ離れた海域にいた第77.4.3任務群から、夜のうちにサンベルナルジノ海峡を突破してきた栗田健男中将率いる日本の中央艦隊から攻撃を受けたとの緊急報を受け取った。これを受け、サンガモンから空中警戒のため飛び立っていた戦闘機はサマール島沖に向かうよう指示され、続けて第77.4.3任務群を支援する攻撃隊が編成される事となった。すでに発進していた第77.4.1任務群の航空機はすべて呼び返され、兵装を整えた上で暫時発進しつつあった。 しかし、攻撃隊発進の真っ最中であった7時40分、1時間前の6時30分にダバオを発進して北上していた、最初の神風特別攻撃隊である菊水隊、朝日隊および山桜隊が第77.4.1任務群に襲い掛かった。6機の零戦はただちに急降下で突入してきたため、対空砲火を打ち上げる暇も無かった。1機はサンティーに命中し、別の1機はサンガモンの上空で旋回して攻撃の機会を待っていた。しかし、この特攻機はスワニーの5インチ砲の射撃で撃墜され、サンガモンからわずか46メートル離れた海面に墜落していった。サンガモンを救った当のスワニーにも特攻機が命中して、2時間もの間作戦不能状態に陥った。残った1機は、サンガモンからの通報を受けた空中警戒の戦闘機によって撃墜された。一連の神風との戦いで、サンガモンの乗員は数名が負傷したほか、別の1名は機銃掃射で戦死した。攻撃が止むと、サンガモンはサンティーとスワニーに医療班を送り込み、二艦から負傷者や遺体を収容した。サンガモンは電気系統や舵、カタパルトの不調にもかかわらず、謎の退却してゆく栗田艦隊への追撃に参加する事ができた。 10月26日、サンガモンは空中警戒任務を再開して戦闘機を発進させた。しかし、12時15分に神風の接近が警告され、防御網をかいくぐった神風特攻大和隊の零戦は、スワニーに2機が命中して大破させた。サンガモンは10月29日にレイテ沖の戦場を去り、11月3日にゼーアドラー湾に帰投。6日後にオーバーホールのためブレマートンへ向かった。サンガモンは11月30日から1945年1月24日まで改修を受け、ロケット弾積み込み軌条、2基目のカタパルト、爆弾運搬用のエレベーターの新設と40ミリ機関砲、消防設備の増設、レーダー機器の更新が行われた。
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