サマール島・レイテ島・バタンガスの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 13:42 UTC 版)
「米比戦争」の記事における「サマール島・レイテ島・バタンガスの戦い」の解説
詳細は「バランギガの虐殺(英語版)」および「サマールの行軍(英語版)」を参照 1900年4月15日にサマール島北部のカトゥビグ(英語版)でアメリカ軍部隊をフィリピン人ゲリラが急襲、町を4日間に渡り占拠し(カトゥビグの戦い(英語版))、これに対しアメリカ軍部隊も増援が来るまで粘った。 1901年9月6日、マッキンリー大統領暗殺事件が発生。 1901年9月28日、サマール島でバランギガの虐殺(英語版)が発生。小さな村でパトロール中の米軍二個小隊が待ち伏せされ、半数の38人が殺された。アーサー・マッカーサーは報復にサマール島とレイテ島の島民の皆殺しを命じた。少なくとも10万人は殺されたと推定されている。またマッカーサーはアギナルド軍兵士の出身者が多いマニラ南部のバタンガスの掃討を命じ、家も畑も家畜も焼き払い、餓死する者多数と報告された。
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