サクラの樹の逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/30 04:16 UTC 版)
「メーソン・ロック・ウィームズ」の記事における「サクラの樹の逸話」の解説
誇張されたあるいは捏造された逸話のなかに、サクラの樹のそれがあり、ウィームズによって以下の人物に帰せられている、すなわち「...年をとった女性、彼女はワシントン一家のとおい親戚で、少女のとき、一家とおおくの時間をすごした...」、そして彼女は、わかきジョージを「いとこ」("cousin") とよんだ。 「 以下の逸話が、適切な事例である。これはあまりに貴重なので失うことはできず、あまりに真実なので疑うことはできない。というのも、これは、先ほどの逸話を語ってくれたのと同じ素晴らしい女性がわたしに伝えてくれた話である。 彼女は言った「ジョージが6歳くらいだったとき、手斧の裕福な主人となった!彼は、おおくの少年とおなじく、それが好きすぎて、じゃまになるものはなんでもぶち切りながら、いつも歩き回っていた。ある日、よく母のエンドウの支柱をめった切りにして楽しんでいた庭で、彼は運悪く、手斧の刃を、美しいイングランドのサクラの若木の幹で試したが、あまりに深く切り込んだので、樹はそのままだめになってしまった。翌朝、老ワシントンは、自分の樹にふりかかったことを見て取った。ところで、その樹は彼のお気に入りだった。気色ばんで、家のなかにはいってくると、いたずらの張本人に会いたいといい、同時に罰金を5ギニー払っても許すつもりはないぞと宣言した。答えるひとはだれもいなかった。やがてジョージとその手斧が姿を現した。「ジョージ」と父親はいった「だれが庭のあそこに立っていた美しいサクラの樹を枯らしたか知っているか?」きびしい問いであった。ジョージはそのためにちょっとのあいだぐらついた。しかしすぐにたちなおった。そして父親をみて、ゆるぎない真実を語る者の言いようのない魅力で若い可愛い顔をかがやかせ、勇気をふるってさけんだ「ぼくは[うそを]つけないよ、とうちゃん。ぼくはうそをつけないよ手斧できったんだ」「この腕に走ってこい、かわいいぼうや」父親は我を忘れて叫んだ「うでに走ってこい。うれしいぞ、とうさんは、ジョージ、おまえがとうさんの樹をからしたことが。おまえは、ひきかえに、とうさんに1000倍、支払ってくれたんだからな。わたしの息子のこのような英雄的な行為は、1000本の樹をこえる価値がある。銀の花が咲き、純金の実を結ぶ樹であったとしても」 」 この逸話は、広く用いられていた教科書『マガフィー・リーダー(英語版)』に載せられて教養の一部をなし、ワシントンの2月22日の誕生日をサクランボ料理でいわう習慣を生み、しばしばサクランボが彼のおきにいりと主張される原因となった。 1896年に刊行されたウッドロウ・ウィルソンによる伝記『ジョージ・ワシントン』(George Washington) はこの逸話を作り話と呼び、そののち、当時の歴史家はほとんどすべてそれに追随した。とはいえ、ワシントンの親族が作り話だと認めたことはない。中でもエレノア・パーク・カスティス・ルイス(英語版)(1779年 - 1852年)がこれを否定していないのは特筆に値する。ルイスはワシントンによって実の娘として育てられ、ワシントンの記念を残したり、不正確な逸話を訂正することに人生を捧げた人物である。 ウィームズは本の売上を伸ばすために、数人の歴史家が作り話だと推測しているにもかかわらず、この物語は、まことしやかなままで、真実とも虚偽とも証明されていない。
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