グラントとシャーマンの反撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 16:12 UTC 版)
「シャイローの戦い」の記事における「グラントとシャーマンの反撃」の解説
南軍の攻撃は多少の欠点はあったものの恐ろしいものであり、グラントの新しい軍隊で経験の無い多くの兵士は逃げ場を求めてテネシー川まで逃亡した。他の者はよく戦ったが、強い圧力で後退を強いられ、新しい防御戦を造ろうと試みた。多くの連隊は完全にバラバラにされた。戦場に残された中隊や班は自ら他の指揮の下に入った。この時間帯に戦闘に対する備えを無視してきていたシャーマンが戦闘の最も重要な役割を果たすようになった。シャーマンはその前線の何処にでも現れて、最初の攻撃で両軍に驚くべき損失が出ていたにも拘わらず、敵の攻撃に抵抗するよう未熟な新兵達を鼓舞し続けた。2箇所に軽い傷を受け、乗っていた馬は3頭も銃で撃たれた。歴史家のジェイムズ・M・マクファーソンは、この戦闘がシャーマンの人生にとって転回点となり、北軍でも傑出した将軍の一人になることになったと言っている。シャーマンの師団は最初の攻撃の鉾先となり、その陣地に激しい砲火が及び、右翼は崩壊していたにも拘わらず、頑として戦い続けた。北軍は徐々に地歩を失いシャイロー教会の後に後退した。マクラーナンドの師団は一時的にその陣地を安定させた。しかし、全体的にジョンストン軍が正午まで着実に前進を続け、北軍の陣地を一つずつ剥がしていった。 グラント将軍はその朝、約10マイル (16 km)下流のテネシー州サバンナにいた砲艦に乗っていた。4月4日に乗っていた馬が倒れ彼の体を下敷きにしたために怪我をしていた。戦闘の日は回復しつつあったが、松葉杖がなければ動けなかった。グラントは砲声を聞くと戦場に駆け付け、午前8時半頃に到着した。グラントは夢中になって近くにいた援軍を寄せ集めた。川向こうの上陸点にいたブル・ネルソンの師団、クランプズ・ランディングにいたルー・ウォーレスの師団などだった。しかし、これら予備隊が急速に戦場に到着することはなかった。これはウォーレスの判断のためだったと言われている。 Brig. Gen.ウィリアム・シャーマン、北軍 Brig. Gen.W・H・L・ウォレス、北軍 Brig. Gen.ベンジャミン・M・プレンティス、北軍 Brig. Gen.ルー・ウォーレス、北軍
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