グラム・ロック時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 14:19 UTC 版)
「デヴィッド・ボウイ」の記事における「グラム・ロック時代」の解説
1970年、ミック・ロンソンをサウンド面での盟友に迎え『世界を売った男』をリリース。歌詞に哲学・美学の要素が含まれるようになり、1971年のアルバム『ハンキー・ドリー』でその路線は更に深まり、歌詞にも哲学・美学の要素が強く表れるようになった。 ミック・ロンソンが後に加入することになるグラムロックバンドのモット・ザ・フープルは1972年3月、解散危機に直面し、ボウイはモット・ザ・フープルに「すべての若き野郎ども」を提供、同バンドの楽曲として大ヒットした。 1972年6月、コンセプト・アルバム『ジギー・スターダスト』をリリース。コンセプトに基づいて架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を名乗り、そのバックバンドである「スパイダーズ・フロム・マーズ」を従え、世界を股に掛けた1年半もの長いツアーを組んだ。初期はアルバムの設定に従ったものだったが、徐々に奇抜な衣装(山本寛斎の衣装も多く取り上げている)、奇抜なメイクへと変貌していった。アメリカツアーの最中に録音された『アラジン・セイン』は、架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を演じるボウイというよりは、架空のロックスター「ジギー・スターダスト」そのもののアルバムになった。しかし、1973年7月3日のイギリスでの最終公演を最後に、ボウイはこの架空のロックスター「ジギー・スターダスト」の終焉を宣言した。この時期、後に歌手としてデビューするチェリー・バニラが、ボウイの広報を担当していた。 「ジギー・スターダスト」を演じることをやめ、一息ついたボウイは、子供の頃好んで聞いていた楽曲を中心に構成したカバーアルバム『ピンナップス』を発表し、それを最後にジギー・スターダスト時代の唯一の名残であるバックバンド「スパイダーズ・フロム・マーズ(英語: the Spiders from Mars)」を解散させ、盟友のミック・ロンソンとも離れることになった。ただ、ロンソンとは決別した後も、連絡を取り合う関係だった。
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