ジェネレーションX (バンド)とは? わかりやすく解説

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ジェネレーションX (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/03 06:25 UTC 版)

ジェネレーションX
出身地 イングランドロンドン
ジャンル パンク・ロック
ポップ・パンク[1][2]
ニュー・ウェイヴ
活動期間 1976年 - 1981年
1993年
2002年 - 2005年
レーベル クリサリス
共同作業者 チェルシー
サブウェイ・セクト
ジグ・ジグ・スパトニック
ロンドンSS
ザ・クラッシュ
カウボーイズ・インターナショナル
エンパイア
オルタナティヴTV
ビリー・アイドル
旧メンバー ビリー・アイドル
トニー・ジェイムス
ボブ・アンドリュース
ジョン・タウ
マーク・ラフ
テリー・チャイムズ
ジェームズ・スティーヴンソン

ジェネレーションX(Generation X、Gen Xとしても知られる)はイングランドパンク・ロックバンド。1976年10月21日にビリー・アイドルトニー・ジェイムスとジョン・タウ(「トウ」と表記される)により結成された[3]

来歴

ジーン・オクトーバーがリードボーカルのバンド、チェルシーからアイドルらが脱退して結成。ジェネレーションXというバンド名は、ジェーン・デヴァーソン著の社会学の本から命名[4]。アイドルはギターからボーカルにスイッチし、ボブ・アンドリュースがリード・ギターとして加入。最初のライヴを1976年12月21日にロキシーで行った(この会場で演奏した最初のバンドになった)[4]

タウはバンドがクリサリス・レコードと契約し、デビュー・シングル「ユア・ジェネレーション」を発表する前にオルタナティヴTVに移り、元サブウェイ・セクトのマーク・ラフに交代。このメンバー構成で最初の2枚のアルバム、セルフタイトルアルバム『ジェネレーションX』(1977)と『人形の谷』(1979)をレコーディングした。

メンバー全員のルックスのよさから、パンク隆盛時には例外的なアイドル人気を獲得。BBCの人気音楽番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』に初めて出演したパンク・バンドの1つでもある[5]。他のパンク・バンドと違い、ジェネレーションXはイギリスのパンクバンドが取り込む「ルール」や「理想」を無視し、1960年代のブリティッシュ・ポップからの影響を取り入れた[6]。1977年、ジョン・レノンの「真実が欲しい」をカヴァー、1979年にはグラムロック時代に人気を博したモット・ザ・フープルのメンバー、イアン・ハンターと手を組み、セカンドアルバム『人形の谷』のプロデュースを任せた[5]

メンバー間の音楽性の違いの解決には苦労があった。彼等はパンクのルーツに忠実でありたいと願う一方で、よりヘヴィなロック・サウンドを追い求めていた[5]。3枚目のアルバム(数十年後にボックスセット『甘い復讐』の一部としてようやくリリースされた)レコーディング中の1979年に、この問題は頂点に達した。

1980年にアンドリュースとラフはバンドを去り(その後有力なポスト・パンクバンド“エンパイア”を結成)、替わりにザ・クラッシュ、カウボーイ・インターナショナルの元ドラマー、テリー・チャイムズと元チェルシーのギタリスト、ジェームズ・スティーヴンソンが加入した。

ジェネレーションXは新曲だけでなく『甘い復讐』の素材の再録音といった最後の抵抗をする。最後のアルバム『キス・ミー・デッドリー』はバンド名を "Gen X" と略して発表した。『キス・ミー・デッドリー』には『甘い復讐』の1部としてアンドリュース、ラフ(共同作曲者でもある)と録音したヴァージョンの「ダンシング・ウィズ・マイセルフ」も含まれている。アイドルは後にソロミュージシャンとしてこの曲をカヴァーし、そのキャリアの開始をヒットで飾った。

アイドルはアメリカでソロ活動を続け、ポップスターの地位を確保した。ジェイムスは後にジグ・ジグ・スパトニックを結成[5]、ザ・シスターズ・オブ・マーシー等のバンドに参加し、さらに後にカーボン/シリコンを結成した。

ディスコグラフィ

アルバム

  • ジェネレーションX (Generation X)、1978年、全英アルバムチャート29位
  • 人形の谷 (Valley Of The Dolls)、1979年、全英51位
  • 甘い復讐 (Sweet Revenge)、1979年。2003年まで非リリース
  • キス・ミー・デッドリー (Kiss Me Deadly), 1981年 (as "Gen X")

[7]

シングル

  • ユア・ジェネレーション (Your Generation)、1977年、全英シングルチャート36位
  • ワイルド・ユース (Wild Youth)、1977年
  • レディ、ステディ、ゴー (Ready Steady Go)、1978年、全英47位
  • キング・ロッカー (King Rocker)、1978年、全英11位
  • 人形の谷 (Valley Of The Dolls)、1979年、全英23位
  • フライデイズ・エンジェル (Friday's Angels)、1979年、全英62位
  • ダンシング・ウィズ・マイセルフ (Dancing With Myself)、1980年 (as "Gen X") 全英62位

[7]

コンピレーション

  • パーフェクト・ヒッツ (Perfect Hits 1975-81)、1985年
  • レディオ1セッションズ (Radio 1 Sessions)、2002年
  • アンソロジー (Anthology)、2003年
  • BBCライヴ (BBC Live: One Hundred Punks)、2003年
  • ライヴ (Live)、2005年

日本公演

1979年
  • 6月25日 東京 東横劇場
  • 6月26日 東京 東横劇場(昼・夜 2回公演)
  • 6月28日 大阪 御堂会館

出典

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