クロアチア独立国内での教会
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「クロアチアのカトリック」の記事における「クロアチア独立国内での教会」の解説
詳細は「カトリック聖職者のウスタシャへの関与」および「w:Catholic clergy involvement with the Ustaše」を参照 1941年に、アンテ・パヴェリッチを最高指導者とする傀儡組織ウスタシャによってクロアチア独立国が建国された。クロアチア独立国は幾つか作られたナチス・ドイツの傀儡国家の一つだった。ウスタシャ体制はセルビア人(彼らは東方正教会のキリスト教徒だった)、ユダヤ人、そしてロマに対して虐殺政策を押し進めた。 クロアチア独立国の建国はローマ・カトリック教会内では多くの関係者に歓迎された[要出典]。しかしながら、クロアチアのカトリック教会の著名な人物アロイジエ・ステピナツ司教はクロアチア独立国の発展を批判する演説を行った。1942年5月24日に、ウスタシャの役人への苛立ちを強め、彼は説教を行い特定の用法で手紙を出した: 全ての人々と全ての人種は区別無しに神の子である。ジプシー、黒人、ヨーロッパ人、或いはアーリア人には平等の権利がある。この理由で、カトリック教会は常に階級、人種、ナショナリティの理論に基付いた全ての非正義や全ての暴力を非難し続けて来た。劣等人種であるとしてジプシーやユダヤ人を迫害する事は容認出来ない 彼は同様に1943年2月24日にパヴェリッチ本人に直接手紙を出した: ヤセノヴァッツ収容所は正にクロアチア独立国の汚点です、ポグラヴニク閣下! 私を司祭や司教として見る人々に私はキリストが十字架の上で述べた様に言います、父よ彼らをお許し下さい。彼らは自分達が何をしているのかを知らないのです。 1941年12月には、チェトニックがゴラジュデ付近で五人の修道女(Drina Martyrs)を殺害した。1944年10月25日にユーゴスラビアのパルティザンがダクサ島(Daksa (island))でペタル・ペリツァ(Petar Perica)とマリヤン・ブラジッチを殺害した。パルチザンは1945年1月下旬にヴルゴラツ(Vrgorac)付近で平修士マクシミリヤン・ユルチッチを殺害した。
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