クロアチア独立の後押し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 04:25 UTC 版)
「オットー・フォン・ハプスブルク」の記事における「クロアチア独立の後押し」の解説
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が解体された時、オットーはヨーロッパ諸国に働きかけ、1991年に独立したクロアチアを国家として承認するようにさせた。この時セルビアの民兵組織アルカン・タイガーの指導者の一人が、バルカン半島の政治に鼻を突っ込んだ際にフランツ・フェルディナント大公夫妻に何が起きたかに触れてオットーを脅迫した。 この脅しに対してオットーは、みずからサラエボに乗り込むことで応えた。この時オットーは「この悲劇の循環が閉じるのを祈って」サラエボに赴いたのだと語っている。
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