クリスタル映像時代
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北大神田書店グループが解散し、1984年秋に保釈。このころ個人用のビデオデッキが急速に普及し始め、アダルトビデオが人気を集めるようになっていた。村西もビデオ制作へ転身することを決意し、逮捕・保釈まで村西を支えてきた「ビニ本」制作プロダクション社長の名前「西村」をもじって「村西」、この名前が世の中に通るようにと「とおる」という名前をつけ、以後「村西とおる」を名乗るようになった。 村西は、監督をつとめる作品に自らカメラをかついで男優としても出演するスタイルが注目を集めたほか、また「疑似本番」が当然だった当時の日本のポルノ制作現場で、男優と女優が実際に性交する場面を正面から撮影する手法がたびたび物議をかもした。1985年11月に発売したドキュメント路線の立川ひとみ主演「恥辱の女」では、専門誌「ビデオ・ザ・ワールド」の選評でその年の1位を獲得する評判を呼ぶ。 1986年10月に村西が監督・男優をつとめた『SMぽいの好き』で黒木香をデビューさせる。黒木は当時横浜国立大学の三年生で、イタリア美術を専攻していた。黒木の理知的な言葉づかいと奔放に性を語るスタイルはAV業界の枠を越えて話題を呼び、黒木が一般メディアにも出演する大ブームとなった。 1986年には職業安定法・児童福祉法違反容疑で逮捕される(17歳の少女を出演させたとされるもので、後に処分保留で釈放された)。 1986年12月にはハワイでのロケ中(セスナ2機をパールハーバー上で並行飛行させ、空中でセックスシーンの撮影を行った)に、かねてから自国内での村西の動向を監視していたFBI特別捜査チームからアメリカの旅券法違反容疑で逮捕され、後に総量刑を懲役370年として求刑された。村西はハワイの拘置所で半年以上にわたって拘留されたのち釈放されるが、弁護・司法取引費用は1億円以上にのぼったとされる。 ハワイから帰国すると村西はただちにビデオ制作を再開、とくに自社女優と著名アイドルとの関係を再現したと称するビデオを制作して、アイドル事務所や一般ファンから強硬な抗議を受ける騒動が起きている。 1988年4月には、17歳の少女をAVに出演させたとして児童福祉法違反容疑で逮捕。罰金30万円の有罪判決を受けた。
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