クインズベリー・ルールの制定とは? わかりやすく解説

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クインズベリー・ルールの制定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 10:39 UTC 版)

ボクシング」の記事における「クインズベリー・ルールの制定」の解説

1867年にロンドン・アマチュア・アスレチック・クラブのジョン・グラハム・チャンバースはルール保証人第9代クインズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラスの名を冠した12からなるクインズベリー・ルール」(Marquess of Queensberry Rule) を発表した。これにより、投げ技禁止されたほか、3分1ラウンドとしラウンド間に1分間休憩をとるラウンド制、グローブ着用ダウンした者が10以内立ち上がれない場合KO負けとすることなどが定められ、現在に通じるボクシングルールが確立した定着は遅れ以前の「ロンドン・プライズリング・ルールズ」についても1889年7月にジョン・ローレンス・サリバンがジェイク・ロドリゲス行った防衛戦まで続いたクインズベリー・ルールにより行われた最初公認世界ヘビー級タイトルマッチは、1892年9月7日、ジョン・ローレンス・サリバン(ジョン・L・サリバン)対ジェームス・J・コーベット戦である。コーベット当時スタイル「スタンド・アンド・ファイト」ではなく相手から距離をとってパンチをかわし、左の軽いジャブ当て続けて相手弱らせる卑怯者戦法」といわれたスタイルサリバン21回にKO勝利をおさめた現在のように世界タイトルマッチラウンド数の規定はなく、プロモーター現地コミッション組織対戦選手陣営同士合意などで初期その都度変わっており、初期の名選手黒人初のヘビー級チャンピオンジャック・ジョンソン1915年4月5日防衛戦では全45ラウンド制(※結果挑戦者26KO)だった一方その2回前の1913年12月19日防衛戦では、全10ラウンド制(※結果10ラウンドPTSドロー)でバラバラであったが、自身防衛戦全て10ラウンド制で行ったジーン・タニー引退後1930年6月12日行われた空位世界ヘビー決定戦以降は、世界タイトルマッチ一部例外除きほぼ全15ラウンド制で行われるようになったため、1930年代半ば前に慣例として『世界タイトルマッチ15回戦制』が事実上成立した。しかし1982年11月13日以降数年わたって一連のリング禍事件発生したことを受けて世界戦をはじめ主要なビッグマッチにおいても最大12ラウンドまでに短縮される動き広まり、現在に至っている。 「日本のボクシング史」も参照 ボクシング試合スパーリング挑んだり、実際に対戦しても「スポーツ格闘技である以上」は、それが違法性阻却事由となり決闘罪成立し得ない。(「決闘罪ニ関スル件」を参照

※この「クインズベリー・ルールの制定」の解説は、「ボクシング」の解説の一部です。
「クインズベリー・ルールの制定」を含む「ボクシング」の記事については、「ボクシング」の概要を参照ください。

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