ギターに懸けた青春とアメリカ留学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 00:51 UTC 版)
「安達久美」の記事における「ギターに懸けた青春とアメリカ留学」の解説
ロックやブルースに興味を持った安達は、イギリスのロックグループであるレッド・ツェッペリンの『天国への階段』のイントロに挑戦しようと思い立つ。難易度の高い楽曲であったが、学校から帰ったらすぐさま練習を始め、ときには朝の5時までギターを弾き続けることもあったという。このような悪戦苦闘を1年間続けてマスターした。後年、「『天国への階段』にはギターを弾くのに必要な技術がほとんど含まれていた」と振りかえっている。 自身にはギターの才能(センス)があると確信をもち、ますますギターに魅了された。13歳(中2)のときには、兄のバンドに加わって、ライブハウスのステージに初めて立った。既にプロの道を目指すことに決めていた安達は、アメリカのギタリスト、スコット・ヘンダーソンの元でギターを学びたいと思うようになった。 ヘンダーソンがロサンゼルスの音楽学校「ミュージシャンズ・インスティチュート」で教鞭をとっていると情報を得た安達は早速英語で電話をかけて問い合わせ、パンフレットをとりよせた。中学卒業と同時に音楽学校へ入学したいと熱望していたが、入学条件が高卒以上であることを知り、日本に留まって進学することにする。「自宅に最も近い」という理由だけで高校を選び、入学。高校時代は、1日に6、7時間はギターの練習に励み、ときには英会話を上達させるために外国人が多く集まるバーに足を運ぶこともあった。 高校卒業後、19歳で念願だったミュージシャンズ・インスティチュートに1年間留学するため渡米。それなりのキャリアがあると自負して勇んで入学したものの、同級生らの演奏レベルの高さに衝撃を受け、鼻っ柱を折られた。しかし当初こそ落ち込んだものの、その逆境に刺激を受け、貪欲に打ち込む糧にした。学校は24時間開放されており、ほとんどの時間を練習に費やしていた。長年憧れていたヘンダーソンは厳しい指導者であったので生徒の中には少し及び腰の者もいたが、安達は自分からヘンダーソンに会いに行き、二人でブルースのセッションをしたこともあった。 英語を用いた会話に関しては、最初の半年間は聞き取るだけでも精一杯であったが、音楽学校の仲間とは、音楽を通じてすぐに打ち解けあうことができたと振りかえっている。
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